永遠の始まり

5

「は、葉月クン? それってどういう意味なの!?」
 何時もは冷静沈着なマネージャー女史も、思いもよらない葉月の
言葉に声のトーンが跳ね上がる。
「…あ、今日のことは気にしなくてもいいのよ?」
「…今日の事は関係ないです」
「それじゃどうして…?」
「……………」
 『愛に後ろめたい想いをしたくない』とはとても言えない。突き
詰めれば『この仕事が嫌い』とも――言えない。
 結果、沈黙する以外に葉月には出来ない。
 ブブーと通話時間残り少ないことを告げるブザーが鳴った。
 急いで追加のコインを入れる。
「葉月クン。とにかく電話じゃなんだから、会って話しましょう
よ。いきなり辞めますじゃ、こちらも困っちゃうし、私、ちゃんと
葉月クンの話を聞きたいわ。今どこにいるの?」
 女史の声が、思いがけず柔らかな温かな声に聞えて。
 ――この人、こんな風に話したっけ…?
 と、首を傾げる。
 結局、いつもの撮影所の隣にある喫茶店で落ち合うことにして、
電話を切った。
 
 『ALUCARD』の扉を押すと、カラン…という軽やかな音が
響いた。
 見渡し探すまでもなく、奥の席から女史が手を振って合図してい
た。
「ごめんね」
「いえ…こちらこそ……。今日は、本当にすみませんでした」
「そっちはもういいのよ。ところで…おなか減ってない?」
 女史はメニューを取って差しだす。
「こみいった話しの前だもん。空腹は厳禁よ」
 そう言ってニコリと微笑まれ、葉月は戸惑いながら頷いた。
 パスタとモカを食後のコーヒーで頼むと、女史は
「ふうん…。葉月クンって、モカが好きなの?」
 と言う。
「え…、はい……」
「…そうだったんだ」
 女史は一人納得するかのように頷いた。
 
「で、一体どうしてかな?」
 食後のコーヒーがやってきたところで、女史が本題に入った。
「…辞めたくなったから」
「そりゃそうでしょうけど、どうして辞めたくなったのかなぁ?」
「……………」
「そういうの、言うのイヤ?」
「……イヤっていうんじゃない、けど…」
 上手く言葉が出てこない。
「まあ、私も反省したのよね」
「え? 反省って…」
 何故、このマネージャーが反省するのか?
 という視線に気が付いたのか、女史がちょっと肩をすくめる。
「葉月クンが何にも言わないことをいいことに、バカスカ仕事詰め
込み過ぎちゃったかなって、ね。今日にしても、なんか予定があっ
たかもしれないじゃない」
「…いや、今日は別に予定なんかは、なかったです」
「友達と約束とかいう予定じゃなくっても、ちょっと買い物に行っ
てみようかとか、散歩でもしようかとか、映画でも観ようかとか。
そういう小さな心積もりがあっても、私たちがお願いしちゃった
ら、葉月クンとしては駄目とは言えないよね〜って」
「…………」
「そういうちっちゃな心積もりを、いっぱい奪ってきたなぁって
思ったの」
「…………」
「葉月クン、ようやく高校生になったばかりだもんね。遊んだり勉
強したり遊んだりするのが本分だよねぇ」
「………遊びが二回入ってますけど」
「あら、高校生の頃はそれぐらい遊んだ方が、後々の為なんだか
ら」
 くつくつ、咽の奥で笑う女史。
「でね、取りあえずゴールデンウイークが終わるまではオフにする
から、その間ゆっくり考えてくれないかな?」
「え…?」
 今からゴールデンウイークが終わるまでとなると、3週間以上の
休みとなる。
「でも…今日の埋め合わせとかは…」
「んもうっ、葉月クン、真面目すぎ〜〜!」
 女史はメッと小さく睨んで、そのくせ目も口元も笑っている。
「それじゃ、今日の分は今度の火曜ってことでいいかな? それ以
降は五月七日の火曜日に話し合いましょ?」
 スケジュール帳のカレンダーを指し示し、顔を覗き込むマネー
ジャー女史。
 ゴールデンウイークまでオフになろうと、ゆっくり考えようと、
モデルを辞めたい気持ちは変わらないのだけど――。
 そのカレンダーには一杯「葉月・撮影」と書き込まれていて。
 葉月は頷くしかできなかった。
 
「よかった。それじゃ、今日はこの話しは終わりね」
 そう言うと、女史は伝票を持って立ち上がる。
「あ…俺の分は自分で……」
 慌てる葉月に、女史はまたもは大笑いして、
「大丈夫だって。ちゃんと経費で落すんだから」
「ケイヒ?」
 首を傾げる葉月に、女史はクツクツ笑うだけ。
 
「ありがとうございました〜」
 という声に送られて、店を出る。
「それじゃ、気を付けて帰りなさいね」
 そう言って、手を振るマネージャーに、葉月は
「あの…」
 と呼び止めてしまった。
「ん? なあに」
「………マネージャーさんって、なんて名前なんですか?」
「……………」
 しばし目を大きく見開いて、まじまじ葉月を見つめていたけど。
ゆるっとその表情が緩む。
「私、田上温子っていうのよ」
「田上さん…ですか」
 一年以上もマネージャーをしている人の名前を、今、初めて口に
して。
「…田上さん。今日はどうもありがとうございました」
 ペコリと一礼。
 色々はあったけど、今日の『田上さん』はとてもありがたかった
から。
「ふふっ。私こそ、葉月クンとお話できて、よかったわ」
 女史はそう言って、それじゃね、と手を振り今度こそ足早に去っ
て行った。
   
 街はネオンの灯に彩られて。
 週末の終わりを出歩く人々。
 
 それらの中で、葉月は一つ頭を振って、家路についた。

 

 

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