永遠の始まり

4

 仕事の依頼があったのは土曜の夜だった。
 「お願い」と言われて断りきれず、日曜日の朝に家を出た。
 
 葉月の家は、海が見える高台にあり、そこから下って街へと出
る。天気もいいので散歩気分で歩くことにした。
 四月の初めだが、今日は風もなく暖かい。
 近道のつもりで児童公園をつっきろうとして足が止まった。
 ベンチの上に木漏れ日が揺れて。
 随分気持ち良さそうなので。
 何気なく、一休み気分で腰を下ろした。
 
 住宅街にあるこじんまりした公園だけど、目に眩しい陽光も、首
に感じる風も、作り物でない本物で心地よい。
 ゾウの形をしたすべり台や砂場。
 はしゃいで遊ぶ子供たち。
 どこか、かつての自分と愛のような気がして。
 ほほ笑ましく思えて、眺めていた――――。
 
 
「…あれっ!? ね…ねぇ」
 ――愛の声がする…。いつもの夢か?
「は…葉月くんっ!!」
 ――俺を呼んでるのか?
「葉月くんったら!!」 
 ――ヘンな愛だな…。いつも『ケーちゃん』って呼ぶのに…。
「葉月くんっ! 起きて!!」
 ――起きて???
 
 
 目を開けると、おっきな愛がいた。
 ――……?
「あ…」
 一度首を振って、そうしてようやく思考が戻ってきた。
「……おまえか」
「うん、わたしだけど…」
 愛は首を傾げて、何故だか心配そうな顔をしている。
「公園でお昼寝? もう遅いから、風邪ひくよ?」
「……遅い……」
 愛の言葉で気が付く。
 辺りはもう茜に暮れなずんで。
 微かに肌寒い風が吹く。
「何時だ、今?」
「え〜と、今は……あ…もう6時過ぎてる」
「6時…」
 決して朝の6時じゃない。
「……またやった」
 葉月はふうっと溜息をついた。
 
 何時のころからだろうか。
 突然に強烈な睡魔に襲われるようになった。
 そうなると授業はもちろんのこと、こういった約束事さえすっぽ
かしてしまう。
 上手く取り繕うことも出来ず、結局は『高慢で気まぐれなヤツ』
と思われてしまっている。
 
「ねえ………」
 愛はじっと大きな目でこちらを見つめている。
「もしかしてモデルのお仕事、遅刻しちゃったとか?」
 ――こいつ、俺がモデルなんてしてるの知ってるのか……。
 どこか後ろめたい。悪事がバレたようなやましい気分。
 そうして分かった。
 自分が、モデルのバイトを嫌々ながらやっていることを。
 以前から好きではないと思っていたけど、もっと積極的に『嫌
だ』と思っている。少なくとも愛に――葉月の『姫』に――胸を
張って言えないことをしているのだと、気づいた。
 気づいてしまった――――。
「いや、遅刻って言うより……もうみんな帰っただろ、さすがに」
 11時にはスタジオ入りしてくれ、と言われたのだから。
「"さすがに"って! きっと、電話にメッセージとか入ってる
よ!」
 愛は真っ青になっている。
 ――こいつ、俺より焦ってないか?
「そうだな……静かな一日だと思ったんだ……」
 葉月の答えに、今度は愛はきょとんとした顔を向ける。
 そんなコロコロ変る愛の顔を見れたのが嬉しくて、それを思う
と、ここで寝過ごしてしまったのがラッキーと思えて。
「電話、家に忘れた」
「えぇ!?」
 そうじゃなくても大きい目をもっと見開き、口をポカンと開けて
る顔は。
 ――おまえ、全っ然、変ってないぞ…。
 はっとして愛は慌ててバッグを探る。
「じゃあ、わたしの電話で連絡を……」
 差しだされたのは、花のビーズのストラップのついた白い携帯。
 ――…………。
 嫌だ、と思った。
 愛の電話でバイト先に連絡をするのが。
 愛の番号が知れてしまうのが、嫌だと思った。
 だから。
「あぁ、俺、向こうの番号知らない」
 知らないことにすれば、かけようがないから。
 愛の携帯を使うことが無いから。
 そんな葉月の目論みを知ることなく
「じゃ、じゃあ、どうしよう……」
 と、愛は真っ青になっている。
 流石に良心が傷む。
「どうしようもないな……いいから、おまえは早く家に帰れ」
「うん、でも……」
 おろおろと目線を漂わせて、未練がましく携帯を握った手をもぞ
もぞさせて。
 こんなに心配させてしまったことが申し訳なくて、だから気を遣
わせないためにと
「そんなに、心配するな。いつものことなんだ」
 と言ってやった。
「……じゃあ」
 そう言って立ち上がると、愛は
「う…うん。それじゃ…ね」
 か細い声で答えた。
 公園の門まで歩いて振り返ると、まだ呆然と立ち尽くして、困っ
た顔でこちらを見ている。
 ――まったく…。
 葉月は心の中から湧いてくる苦笑を抑えて
「早く帰れよ」
 と言って立ち去った。
 
 目についた公衆電話ボックスに入り、マネージャーの番号を押
す。コール2回で繋がった。
『葉月クン!? あなた、何処にいるのっ!?』
「すみません…」
 寝てしまった…とは言えない。だけど、さっきの愛のおろおろし
た様子が思い浮かんで。愛でさえあんなに焦っていたのなら、この
人はもっと気をもんだのだろうと思ったので
「…ご迷惑、おかけしました」
 という言葉が出てきた。
『…………』
 電話越しに伝わってきた小さく息を飲む様子。そうして溜息。
『まあ、もう、仕方ないわ。なんにしろ、無事だったらそれでいい
わ』
「はい…」
『それで、今日予定してた撮影だけど、明日に…』
「そのことですけど…」
 葉月は決めていた。
 愛に後ろめたいことはしていたくない。
 だから――。
 
「俺…モデル、辞めます」





 

 

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