永遠の始まり

3

 葉月は自分の部屋のベットに寝転がって、ぼうっと天井を見上げ
ていた。
 右手に携帯。左手には白い紙。
 もう見なくても、覚えてしまった、そこに書き込まれた番号。
 何度もボタンを押しかけては止め、メモも携帯も放り出してウロ
ウロして、また取り上げる。そんなことを繰り返して、疲れて、
今、寝転がっているのだ。
 
 ――別にかけなくてもいいはずだ。
 ――メモだって捨ててしまえばいいんだから。
 
 だけど、既に覚えてしまった番号は、目を閉じても瞼の裏にくっ
きりと浮んで。気が付けば、口の中で唱えていたりする。
 きっとそれは、このボタンを押さなければ、何時までも繰り返し
てしまうのだと、分かるから。
 むっくりとベットの上で起き上がると、大きく深呼吸をして、携
帯の蓋を開けた。
 バックライトが眩しい。
 僅かに目を細めて、そうして心の中で整理する。
 ――俺はこの番号を偶然手にして、誰だか知らないまま電話して
しまった…ということだから。
 そうして、息を詰め、一気にボタンを押して、勢い込んで電話の
マークをポンッと押す。
 トルルルル――――。
 軽い呼び出し音が心臓に響いて、咽がからからで、視界が真っ白
で、耳鳴りがしてきたような気がする。
 果てしなく長い呼びだし音。
 だけど実際はコール2回半でプツッと音が止まった。
 
『はい、もしもし?』

 それは、電話越しでも確かに分かる、愛の声。
 もう一度、深呼吸。
「…もしもし」
『はいはい?』
 ――…………。
 その口調が妙にコミカルで、それが、すうっと緊張をほぐした。
 さっき心の中で段取った筋書きを思い浮かべ、
「誰だ?」
 と言うと
『えっ? 小笠原愛ですけど』
 と返ってきた。
 ――おいおい、そんなに簡単に名乗っていいのか?
 あんなに緊張していたのに、内心、苦笑が込み上げくるほど余裕
が出てくる。
「………ああ、入学式の時の……」
 おそらくは、自然に言えたと思う。
「俺、葉月」
『えっ!? 葉月くん?』
 その声色は、ちゃんと『入学式の日に教会の前でぶつかった男子
学生』として覚えていてくれた様子で、ホッとする。
『ど、どうしてこの番号を!?』
「いや…なんか、通りすがりの小学生に番号渡されて…」
 嘘じゃない。
 けど、どこか後ろめたいのも事実で。
『へぇ〜、そ、そんなこともあるんだねぇ〜〜』
 なんて、焦っている愛に心の中でゴメンな、と謝る。
 だけど。
 少なくとも、愛の声の調子は、いきなり電話かけられて不快に
思ってる風は無くて。
 よかった…と思う自分がいる。
 
『ねっ、葉月くん。何組?』
「あ…B組……」
『えっ、そうなの? お隣りのお隣りだねっ。私、D組だよっ』
「…そうか」
 そんなの知ってた。
 組み分けが載った掲示板で、『小笠原 愛』の名前を探したか
ら。
 自分と同じ組になかった落胆と、二つ隣に見つけた高揚と。
『なんだかね〜、ちょっと担任の先生がコワイ感じで…』
「…担任、誰だ?」
『…ヒムロ先生』
「ああ…数学の」
『そうっ、そうなのよ。数学の先生ってだけでもアレなのに…』
「…数学、嫌いなのか?」
『ううん…わたしは好きだけど………どうも片思いみたいなのよ
ね』
「…………」
 数学に片思いという言い回しが可笑しくて、思わず口元に笑みが
込み上げて。
 そうして驚いた。
 こんな風に、笑みが込み上げたのは…一体どれぐらい前だろう。
『……笑ったでしょ?』
「いや……気のせいだ」
 そんな感じで、気が付いたら随分話していて。
『あ、ごめんね。随分長く話しちゃった』
「いや…かけたの、俺だし……」
『あ、今度、わたしからかけてもいい?』
「ああ……構わない」
『よかった、ありがとうっ。それじゃ、ね』
「…じゃ、また」
 プッと切断ボタンを押して、現れた数字。通話時間は、30分に
近かった。
 ――…………。
 こんなに人と話したのも随分と久しぶりだった。
 
 以前――愛と遊んでいたあの頃は、普通の子供だったと思うのだ
けど。
 ドイツに渡ったら渡ったで、戻って来ると戻って来たらで、どち
らにも馴染めない外見と言葉。
 色んなことが積み重なって、気が付くと、上手く言葉が出せない
人間となっていた。

 気の利いたことも、面白い冗談も言えない自分なのに、愛は楽し
そうだった。それは分かる。
 ――………。
 手にした電話に目を落す。
 
 引っ越してきたばかりなこと。
 昔、ここに住んでいたということ。
 弟の名前が『尽』だということ。
 
 一杯の今の愛の話しを聴けて。
 嬉しい、と思う自分の心。
 
「やっぱり、お前は『姫』なんだ…」
 そう呟いて、パタンと携帯のフタを閉じた――。
 

 

 

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