それからもう一軒と菓子屋を梯子して。
「しかし、まぁ…」
途中で手に入れた紙袋の中に、ぎゅうぎゅうに詰められた包み、
包み、包み。
「女って甘いものが好きって言うが、お前がこんなにチョコレート
が好きとは知らなかったぜ」
なにしろこの包み全部がチョコレートなのだ。アリオスとすれば
少々呆れる。
が。
「え?」
きょとんと青緑の瞳が見開かれる。
「あっ、ち、ちがうわ! あ、そりゃ、もちろんチョコレートは好
きだけど、これは違うの」
アンジェリークが慌てて手を振る。
「えーと…あのね、バレンタインのプレゼントなの」
と、うっすら頬を染めて首をすくめて、小さく舌を出した。
「…………」
その表情を目に留めてアリオスは一瞬言葉を無くす。
惹きつけられる。
一瞬にして変わる表情が、生き生きとした顔が。
とても綺麗だと――胸を突く。
内心の動揺を押し殺して、
「バレンタイン?」
アリオスは尋ねた。
「あれ? アリオス、バレンタイン知らない? あ、そーか。主星
辺りのイベントだもんね」
と、アンジェリークが一人驚き、一人納得している。
「あのね、二月十四日は、バレンタインデーって言うの。一年でこ
の日は、女の子の方から好きな男の人にチョコレートを贈って、告
白していい日なの」
「ほーーー」
「って言っても、最近は『日頃お世話になった方々へのご挨拶』っ
て感じだけど、ね」
「なるほど…な」
道理で半端な数じゃない。十数個はあろうかというとりどりの包
みを改めて見下ろし、深く納得する。
「……だから、一人で来たかったのに………」
唇をすぼませ、小さく膨れるアンジェリークにアリオスは苦笑し
て肩をすくめた。
紙袋の一番上にある、細い緑のリボンのついた包み。
それが誰の為なのかが分かってしまった。
「お前が何買ったかなんて、俺は知らねぇぜ? 単にお前一人で出
歩かせるワケにはいかねぇから、付いてきただけだ」
そうして、ニヤッと笑ってアンジェリークの顔を覗き込む。
「ま、菓子屋を食い尽くすぐらいの勢いだった…ってのは見ちまっ
たけどな」
「!! アリオスっ!」
「はははっ」
「さ、用が終わったんなら帰ろうぜ。遅くなったら連中心配する
ぜ?」
「うん…っと、あっ!」
促したアリオスに、一度は歩き始めたアンジェリークだが、びっ
くりしたような声をあげて足を留めた。
――?
そこもやっぱり菓子屋で。
他の店よりも高級なのか、客もあれほどはごったがえしておらず、
みな、じっくりと商品を選んでいた。
ショーウインドに飾られているチョコレートにアンジェリークが
吸い付いている。
ほぉ〜っというため息。いいな…という小さな呟き。
正直、アリオスにはどこがどういいのかは分からないけど。
――そういや、こいつ、自分が食うヤツは一個も買ってなぇよな。
十四日は(自分も含めて)みんなにコレをばらまいて、みなが礼
をいいつつ摘むのをニコニコ笑って見守るのだろう。
今から想像できるその日に思いを馳せて、そうしてちょっとした
決心をする。
――そんなに気に入ったら買ってやろうか…。
それは気まぐれと言えば気まぐれだけど。
だいたい、こんな甘い食いモンは、オンナが食う方が様になるん
だぞ、とか。
チョコレートだって好きなヤツに食われる方がいいだろう、とか。
そんな苦しい言い訳をして――アンジェリークが喜ぶ顔をみてみ
たい――心の奥に湧く想いに目を反らす。
それでも。
「ほら、アンジェリーク、いくぞ」
「あ、待って、アリオス」
駆け出してくるアンジェリークを、アリオスは歩調を緩めて待っ
てやった。
「えーと…アリオス、これ…その…日頃の感謝の気持ち、です」
はにかんだような照れたような笑顔とともに、あの緑のリボンが
かかった包みを差し出される。
「クッ…そうか、サンキュ」
受け取り、
「食っていいか?」
と尋ねる。
「えっ? もちろんっ! アリオスが気に入ってくれればいいけど
…」
「さあ、どうだかな?」
と言いつつ包みを開けてると、四角の形をした薄いチョコレート
が数枚入っていた。
――へぇ…。
別にこんな甘いモノを好んで食べはしないが、まぁ、摘んでやっ
てもいいか、と思う程度の物に、これはこれで、こいつは俺のコト
を考えて選んだんだろうなぁ、とか思い到る。
「どう…かな?」
上目遣いに見上げるアンジェリーク。
――クッ。まるで試験の採点をまつ女学生ってトコロだな。
一片つまんで口に入れる。
「悪くねぇぜ。ま、食える味だ」
「ほんと!? よかった〜〜〜」
と、ほっとした口調に笑顔が零れる。
「ほら、他の方々には以前も贈ったことがあるし、好みもある程度
は分かっていたけど、アリオスの好みって全然分からなくて〜〜。
だから、どきどきしてたのっ」
「…………どうせなら、違うどきどきの方がありがてぇけどな」
「えっ!? なにか言った?」
「いや、なんでもねぇ」
どうしてそんな言葉が出てきたのか。
思わず漏らした言葉に実は自分の方が驚いている。
――まぁ、いいか。
なにかが胸の奥で動いたのだが、取り合えず、今は無視する。
「ほら、アンジェリーク。礼だ」
そう言って、アリオスが取り出した包みを見て、アンジェリーク
が大きく目を見開いた。
それは、あのショーウインドに飾られてたチョコレート。
思わず足を止めて見入ってしまった。
とても憧れたから。
今日買ってきたチョコとは全然『意味』が違う、好きな人に贈る
チョコレート。
――いいな、こんな素敵なチョコレートを、『誰か』に贈ってみ
たいな…。
誰か…と思った途端に、ショーウインドに写ったアリオスの姿が
目に飛び込んできた。
どきんっ!
――えっ? えっ? えっ???
かぁっと身体が熱くなって、胸がドキドキしてきて、だけど何故
だか分からなくて。
混乱してきて、ふぅー、と大きく深呼吸して。
と。
「ほら、アンジェリーク、いくぞ」
とアリオスが促す。
「あ、待って、アリオス」
既に歩きかけていたアリオスの背中を慌てて追って。
だけど、もう一度振り返る。
――あんなチョコ、アリオスに贈ったら…アリオスは受け取って
くれるかな………。
自分に合わせて歩調を緩めてくれた広い背中に追いかけながら、
ふと心に浮かんだ――――。
「お前、これ、気に入ってただろ? 振り返ってまで見てたし」
「…知ってたの?」
「まあな」
背中向けてた筈のアリオスが、そこまで気付いてくれてたのは嬉
しいような、こそばゆいような。
そうして『気に入ったんだろうな』と買ってくれたのは、とても
嬉しい。
だけど…。
結局、買う勇気――贈る決心がつかずに、みんなと同じようなチョ
コを贈ったのだけど。
でもでも、本当は、本当はこのチョコレートをアリオスに贈りた
かったのに…何故だかアリオスに贈られている。
――う〜〜ん、なんだか変。ちょっと変…。
とても嬉しいのに、心の奥にある小さな『変』に戸惑う。
だけど。
間違いなく嬉しいのは確か。
だから。
「ありがとう、アリオス! とっても嬉しいっ!」
「いや、ま、喜んでくれりゃ、なによりだ」
向けられた笑顔に、その時ばかりはいつもの皮肉げな瞳ではなく、
柔らかに瞳を細めてアリオスが笑った。
――…アリオス。
その一瞬の笑顔に、アンジェリークは見入ってしまった――――。
|