こっそりとドアから顔を覗かせ、左右を見渡し人気がないのを確
認して、そぉっと、そぉっと廊下に出る。
足音を立てないように忍び足。
ぎしぎしと鳴る階段にぎょっとなって、もっとそぉっと降りてい
く。途中の踊り場で、一階のロビーに知った人々が居ないのを再度
確認。
それでもなるべく部屋の端をカニ歩きで通って、ようやくドアに
たどり着く。
ゆっくり、なるべく音を立てないようにゆっくりとノブを回して
ドアを開ける。するっと身体をすき間に滑り込ませて外に出た。
「はぁ…」
ほっとして、大きく息をした。
と――――。
「おい、お前、どこに行くんだ」
頭上から降ってくる聞きなれた声。
ぎょっとして慌てて振り返ると、腕を組んだアリオスが石段の上
でドアにもたれて立っていた。
「アリオス! ……えーと、どこから見てたの?」
「どこからって、お前が部屋を出て行くところから」
「だ、誰もいなかったはずだけど…」
「あんだけ挙動不審にきょろきょろしてりゃ、身を隠すぐらいはす
るぜ? で、どこに行くんだ?」
「…………」
言葉に詰まってうな垂れるアンジェリークに、アリオスは可笑し
そうに口の端を上げる。
「ほー、黙秘か? 別に俺は構わねぇぜ。さて、ジュリアスあたり
を呼ぼうか?」
「! アリオスの……意地悪」
「あ? それが、内緒で外に出て行くのをみっけた俺に対しての言
葉か?」
「う〜う〜う〜〜〜〜」
眉を寄せ、口を尖らせ、上目遣いに睨みつつ、唸ったあげくに、
「お願いします。見逃して下さい」
と、ぺこんと頭を下げた。
「クッ…、ったくお前ときたら…」
ここで、下手でもいいから言い訳なり口実なりを言ってくれれば
まだマシなのに――そんな器用なやつじゃないことなんか分かって
いたけど――いきなり「見逃してくれ」と来られたら、こっちだっ
て困ってしまうのだが。
「ま、いいぜ。見逃してやる。面白いもの見せてもらったしな」
「面白いもの?」
「クッ…」
あの見事な百面相は見ごたえがある。
「ただし、」
アリオスは言葉を切って身体を起こし、アンジェリークに近づく。
「俺も付いていくぜ?」
アンジェリークの顔を覗き込んでニヤッと笑うアリオスに、アン
ジェリークは渋々ながらも頷くしかなかった。
「は? 街に買い物に行きたい、だけ?」
アンジェリークがこっそり外に出てきた理由を尋ねたアリオスだ
が、その答えに少々驚き、目を見開く。
「だったら、なんであんなにこっそり出てきたんだ?」
別におかしな理由じゃない。言えばジュリアスでさえ「気をつけ
るように」と一言つけ加えつつも、一人二人連れを付けて送り出す
だろう。
「だって、みなさんに秘密にしておきたかったんですもの…」
ちらっとこちらを見上げる青緑の瞳は、暗に「一人で行きたかっ
たのに…」という言葉が込められてる。
「…悪かったな。けど、お前一人で出歩かせるワケにはいかねぇだ
ろ?」
「こんな街中だもん、別に危険なコトは無いと思うけど?」
「街中だから危険があるんだ」
「??? ちゃんと車とかには気をつけるよ?」
「………そっちじゃねぇ」
おとぼけな返答に脱力するアリオスに、アンジェリークが見上げ
て首を傾げた。
大きな青緑の瞳をもっと見開き、小さな紅い唇を少しすぼませ、
小首を傾げると、おかっぱの栗色の髪が肩にかかる。
――…………。
胸を突く衝撃を押さえ込み、アリオスはすいっと目を反らした。
「…アリオス?」
「…まあ、いい。お前が何を買っても何も言わねぇし、他の奴らに
は秘密にしてやる。それでいいだろ?」
「うん…アリオス、ありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして」
こんなところでお礼を言うアンジェリークに、アリオスは苦笑し
か出来なかった。
女性用の下着とか、そういった類いの買い物なら店の中までは付
いていけねぇな…とか内心考えたアリオスだったが、予想に反して
アンジェリークが足を止めたのは――
「ここ、か?」
「うん、そう」
菓子屋だった。
分からない。
――秘密にすることか???
珍しく戸惑い顔のアリオス。
「えっと…それじゃ、アリオス、ここで待っててね」
「あ? ああ…」
「あの…ちょっと時間がかかるかもしれないけど、いい?」
「それは構わねぇが…」
頷いて、菓子屋へと改めて視線を投げる。
――今日はここの大売り出しか?
店構えも洒落ていて、美味い菓子屋なのかもしれない。
が、客の数が半端じゃなかった。
店の中はもちろんドアの外まで客が溢れ返っている。
しかも全員女性。
ハッキリ言って…コワイ世界が広がっている。
「お前、大丈夫か?」
「うん、頑張ってくるねっ!」
「ああ…まぁ、頑張れ」
思わず激励の言葉をかけてしまったアリオスに、にっこり笑いか
けて、アンジェリークは元気に店へと飛び込んで行った。
「……………すっげー奴」
この時ばかりは、心の底から呟いた。
「俺は、魔物の洞窟に放り込まれる方がまだマシだな」
果たしてあのアンジェリークに、この喧騒の中で商品を見て、選
んで、買ってくることが出来るのか? と怪しんだアリオスだが、
人だかりの中から出て来たアンジェリークの手には二つ三つ、包み
があった。
さらに、くるっと再び店の中へと入っていき、次に現れた時は、
包みは五、六個に増えていた。
「待たせちゃってごめんね、アリオス」
「終わりか?」
「あ、ううん…、もう一軒、向こうのお店に行きたいの」
「俺は構わねぇが……」
弾んだ息。紅潮した頬。少し汗ばんでいる額。そうして輝く青緑
の瞳。
「…………」
何が楽しいのかアリオスには全く分からないが、アンジェリーク
がこの買い物を楽しんでいるのが分かる。
だから…。
「その荷物、持っててやろうか?」
そう言ってアンジェリークの手元を指さした。
一つ一つの包みは小さいけど、五、六個となるとかなり嵩張る。
これを持っての買い物は大変だろう…と思ったから。
「えっ!? いいの?」
「ああ…」
頷いたアリオスに、
「ありがとう! アリオス!!」
と、案の定、それは嬉しげな笑顔が返ってきた。
|