「あ、アリオス。お帰りなさい」
出迎えてくれたアンジェリークの、溢れる笑顔は、まるでアルカ
ディアの日差しのようで。
「…ああ」
この笑顔に本当に癒される。
「ちょっと遅くなっちまったな、悪かった」
「ううん、大丈夫。丁度準備が出来たところよ」
薄いオレンジのブラウスとスカート。同じ布で作った幅広のヘア
バンドが栗色の髪によく似合う。そうして小花の刺繍の入った白い
エプロンは初めて見るもので。
こうして家での二人だけの晩餐でも、ちょっとしたおしゃれをする
アンジェリークがとても可愛い。
「似合ってるな、それ」
「本当?」
うっすらと頬を染めるアンジェリークに、
「ああ、いい感じだ」
と、腕を回し、頬に手を当てる。
「えっ、あ、あのアリオス?」
「お帰り、のキスがまだだろ?」
そう言って、額を寄せて覗き込む。
「心配すんな。お楽しみは、ちゃんと後にとっておくさ」
「も、もうっ、アリオスったら…」
そう言いながらも睫毛を伏せるアンジェリークの、紅い唇に軽く
触れて。
「…ただいま、アンジェ」
そんな小さな挨拶を、二人は大切にしていた。
くつろいだ部屋着に着替えて来たアリオスは、テーブルの上に、
目を見張った。
(食い意地が張っているだけあって)実は、アンジェリークは結
構料理が上手い。より美味しくなるようにと、ちょっとした手間を
惜しまない。新しい料理にもよく挑んでいる。(挑みすぎて、時々
とんでもないものを食べさせられることもあるのだが)
そんなアンジェリークが、心を込めて整えてくれた今夜の晩餐は、
素晴らしかった。
茹でて焼いたじゃがいも、人参、いんげん豆を添えた、香辛料の
香りのローストビーフ。詰め物をして揚げた手羽先。ひき肉やレ
バーのパイ。瑞々しい野菜のサラダ。そうして定番のラムシチュー。
「挑戦してみたの」
と、キッチンから出してきた皿の上には、海老や貝を使い可愛ら
しく盛りつけた前菜。更にテーブルに寄せたワゴンにはワインと
ケーキまで乗っていた。
そうしてテーブルの中央には、真っ赤な紅葉と、鮮やかな緑の蔦
をグラスに飾って、ほの暖かいキャンドルが揺れている。
「…随分、張りきってくれたんだな」
「ふふっ…楽しかった」
照れ笑いするアンジェリーク。
「あ、でも、色々皆様から頂いたのよ。野菜とか果物とかは農園の
方から頂いたし、このワインは宮殿の皆様から。それと、ケーキは
レイチェルからよ」
「あいつ、ケーキなんか焼けるのか?」
「あら、上手なのよ。それで、このケーキの上の文字はアルフォン
シアが書いたの」
「えっ!?」
薄くコーティングしたケーキの上に、文字というより模様に近い
が、それでも読み取れる『Happy Birthday Arios』の言葉。
「アリオス?」
黙り込んでしまったアリオスに、アンジェリークが見上げて声を
かける。
「…すごいな」
「え?」
照れ臭そうで、でも『嬉しさ』を隠さない金と緑の瞳が、アン
ジェリークに向けられる。
「…お前は祝ってくれるだろうと思ったけど……こんな風に、皆に
祝って貰えるとは思わなかった」
「アリオス…」
そっと手を添えてきたアンジェリークを、アリオスは優しい笑み
で見返す。
「…皆に、礼を言わないと、な」
「うん…」
テーブルに並ぶ、人々の心尽くし。隣で微笑む愛しい恋人。
アリオスは、今、真実欲しいと願ったものを、手に入れていた。
「それと、ね。アリオス。これが私からのプレゼント」
乾杯のグラスを一口飲んで、アンジェリークが包みを差し出す。
「…サンキュ。開けていいか?」
「うん。開けて欲しい」
アリオスの指が包みを開ける様を、じっと見つめるアンジェリー
クの視線が可笑しくて、可愛くて、アリオスは殊更ゆっくりと包み
を開けた。
現れたのは、藍色を基調とした組み紐をきつく編んだ、ベルトの
ようなものだった。だが、ベルトにしては丈が長く、途中に何かを
結わえ付けれるようになっている。
「お前…これは……!」
それはアリオスのよく知るもので。
驚いて振り返ると、アンジェリークが微笑んで頷いた。
「うん、剣帯…」
「…………」
アルカディアで授けられた剣は、普段はアリオスの力で、彼の身近
な異空間に置かれてある。
「だから、剣帯なんていらないのかもしれないけど…」
ゆっくりと、大きな瞳が向けられる。
「私…アリオスに、剣を持つ人であって欲しいの」
「アンジェ…」
「私、争いは嫌よ。でも、闘うことから逃げてはいけないって、
思っているわ」
それを教えてくれたのは、アリオス――。
『立ち向かう強さ』を示してくれた。
「剣は人を傷つけるけど、人を守ることも出来る。アリオスはそれ
を知っている人だから…だから、剣を持つ人でいて欲しい」
そう言って向けられる青緑の瞳。
これほど美しい色をアリオスは知らない――。
「…お前が作ってくれたのか?」
「うん…。こういうの初めてだから、ちょっと形が悪いけど…」
途端に含羞んだ、普通の少女の顔になって、
「でも丈夫よ。切れたりしない筈!」
少し得意そうに笑う天使。
つっと、その小さな手をとる。
相当力を入れたのだろう。以前見た時よりも、もっと赤く擦れた
痕が、指のあちこちにくっきりとついている。
「書類整理だなんて言いやがって…」
「あ、それは嘘じゃないのよ。本当に書類整理してた時に、思いつ
いたもの」
それでレイチェルと相談して、こういうのに詳しい人に習ったの、
と言うアンジェリーク。
「…………」
赤い痕を撫でていたアリオスが、すっと手を伸ばす。すると、
アリオスの手にあの剣が現れた。
剣帯を鞘に結びつける。
「どうだ?」
「ありがとう、アリオス」
嬉しそうに目を細めたアンジェリークに、アリオスは深い微笑み
を浮かべると、流れるように、アンジェリークの前にひざまずいた。
「ア、アリオス!?」
「アンジェリーク」
真摯に向けられた瞳。
「剣士としての俺が誓う。俺の剣はお前の為だけにある、と」
「え?」
アリオスの金と緑の双眸は、深く勁(つよ)い光を湛えている。
「この剣と剣士としての魂にかけて――」
アリオスは片手に剣を捧げ持ち、そうして、アンジェリークの手
を恭しくおしいだくと、唇を落した。
それは、アリオスの生まれた故郷での騎士の誓い――。
再び顔を上げたアリオスは、真っ直ぐにアンジェリークの瞳を見
つめる。
「俺がお前の剣だ」
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