シャワーを終えて浴室のドアを開けると、
「あ、アリオス終わったんだ。それじゃ、入ってくるね」
と、アンジェリークが着替えを抱えて、入れ違いに浴室へと入って
いった。
――……お前、着替え抱えて待ってるくらいなら、入ってこいよ。
理不尽なものを感じて、アリオスはそのまま浴室のドアを開けた。
パタン――。
「えっ?」
着替えを抱えたアンジェリークが、きょとんとアリオスを見上げる。
どうしたの? と言わんばかりだ。
アリオスはゆっくりと壁に手を突き、腕の中に少女を閉じこめた。
「あ…えっと…アリオス?」
見上げるアンジェリークの髪に揺れる赤いリボン。
無言でそのリボンに指を絡めた。
シュル…。
微かな衣擦れの音と共に、アンジェリークの艶やかな髪がサラサラ
と肩に落ちる。
「…これ、解くのは俺だろ?」
アリオスが解けたリボンを示して微かに笑んだ。
「…………」
アリオスは強引でも性急でもなく、ゆったりとアンジェリークに
身を寄せている。
だからこそ――ふんわりゆったり包まれるから、アンジェリークは
アリオスにのぼせてしまう。
――どうしよう…。
このまま流されてしまいたい…。
だけど…。
アリオスを見上げ、あまりに綺麗なその金と緑の瞳に吸い込まれて、
アンジェリークは背伸びして、その薄い唇に触れた。
「………」
驚いたのはアリオスの方。
滅多に、それこそ殆ど無い、アンジェリークからの突然のキスに、
思わず目を見張ってアンジェリークを見つめる。
アリオスの視線をどう取ったのか、アンジェリークは困ったような
表情で見上げた。
「…あの、アリオス、その…どうしても、どうしても一緒に入るの、
今じゃないとダメ?」
「…あ?」
「…どうしてもって言うならそうするけど…出来れば、よければ…
一緒に入るのは後がいいんだけど…な…」
「……というお願いのキスか? 今のは」
「えっ!? それは違うわ。その…なんとなく…したくなったから
だけど…ダメだった?」
「んなワケ、ねぇだろ。…けどな」
実はかなり動揺している内心は隠して、アリオスはいつもの笑みを
口の端に浮かべる。
「…だったらお願いのキスくらいしてみろよ。上手く出来たら誤魔化
されてやるぜ?」
アリオスの視線とその笑みの意味に気がついて、真っ赤になった
アンジェリークが、それでもアリオスの首へと腕を回し、
「…あの…その……アリオス、私を待ってて?」
と囁いて背伸びした――。
カラン…。
グラスの中で氷が回る。
浴室の水音を聞きながら、アリオスはグラスを傾ける。
――さて、今夜はどうしてやろうか…。
キスを代償に『誤魔化されてやった』のだから、それなりのコトは
してやろう…とか考えつつ。
――ま、これがアンジェなりの準備らしいし…な。
確かに、今日のアンジェリークはいつもと少しばかり違う感じが
する。
昼間も食事の後は素直に一緒についてきたし(『過ごして』しまって
――アンジェリークの言う「ちょっとだけ」ではすまなかった)
寝入って起きた時はもう陽が翳りつつあるのを「きゃっ、大変っ」
と起き出し、夜の食事の支度へと走ったのだが、意外に手早く――
つまり準備をしっかりしていたのだろう――アリオスを呼んだ。
――さっきも、恥ずかしがるってより困ってるって感じだった
なぁ。
アンジェリークなりの心積もりがあるのだろう。
敷かれたレール通りに走ってばかりは、ちょっとしゃくに触るの
だけど、
――あれだけのキスを貰ったのだから、まぁ、それも、悪くねぇ
だろ。
と。
パタン…浴室のドアが開く音。
アンジェリークがドアの向こうから顔だけ覗かせている。
「なんだよ、お前。さっさと来いよ」
「う…ん、そうするけど…その、えっと、アリオス。ちょっとだけ
目を閉じてて欲しいな…」
「あ? お願いか?」
にやっと例の笑みを浮かべるアリオスに、アンジェリークが一瞬
固まる。
「…で? お願い聞いてやったら何してくれるんだ、アンジェ?」
「う…その、後で背中を流してあげる」
「足りねぇな。お前を全部洗わせるくらいさせろよ」
「っ!」
それは符丁。
つまりは『一緒にお風呂に入って洗いあうだけ』では終わらない
コトを意味している。
「…………………………………………わかった」
長い逡巡の後で、アンジェリークはコクンと頷いた。
「そうか、じゃ、こっち来いよ」
満足げにアリオスが笑い、目を閉じてやった。
こそっと密やかな足音。
パチッと音がして灯りが落とされる。
漂う水の匂い。
温められて立ち上る芳しい気配。
「いいよ、アリオス」
小さな声に目を開けて――息を飲んだ。
ほんのり上気した白い肌を包むのは――黒いレース。
夜のための衣装――脱がされるための装い。
今まで無かった訳ではないが、この色は初めての『色』だった。
アリオスの驚きの表情に、アンジェリークは耐えていた羞恥が
一気に押し寄せてくる。
「あ、あのねっ、な、何か特別なことって思って、それでっ」
真っ赤になって狼狽え言い募るアンジェリーク。
「いい、アンジェ、何も言わなくて」
アリオスは微笑んで首を振った。
そうして、黒い色に包まれたアンジェリークの細い腰に腕を回す。
華奢な躰は引き寄せるまでもなく寄り添ってくる。
アンジェリークを膝の上に座らせて、視線を合わせる。
「よく似合っている…綺麗だぜ」
湿り気の残る前髪をかき分け、その額にキスをした。
恥ずかしがりやのアンジェリークだ。
この『夜の黒い衣装』を用意するだけでも、大変な『努力』だっ
ただろう。
それが、その気持ちが、アリオスには一番の贈り物だ。
「サンキュ、アンジェ。嬉しいぜ、本当に」
身の置き所のないほど恥ずかしかったのに、アリオスの笑顔を見
てしまうと、何故か気持ちが落ち着いてきた。
腕を伸ばし、広い背中に抱きつき大きな胸に顔を埋める。
「…アリオスに喜んで貰えたら、嬉しい……」
頬を包んでいた手が、ゆっくり顎先にかかるその合図に。
優しい指に導かれて顔を上げ、目を閉じた――――。
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