ぱたぱた…。
アンジェリークが右に左にキッチンを巡っている。
「………」
こういう時、アリオスはいつも居心地の悪さを感じる。
アンジェリーク一人が働いているのを眺めているのが嫌なのだ。
どうせなら一緒にキッチンに立った方が、早く支度出来るし
(=夜が長くなる)、今は手を出せないが、なにかの拍子に腕や
肩に触れるチャンスがある(…かなり飢えているらしい)。
「おい…」
なんか手伝うぞ? と立ち上がりかけたところで、アンジェリークの
端末が着信を知らせて光るのを目にした。
覗くとレイチェルからの音声着信。
通話を押し
「なんだ?」
アリオスの問いに
「おっと…アリオスか、取り込み中じゃないよね?」
レイチェルの声はいつもの調子だ。
『緊急事態発生』という訳でないらしい。
「今、何時だと思ってるんだ。メシの支度の真っ最中だ。今の
アンジェを邪魔するとコワイぞ」
「うん、今なら大丈夫と踏んで連絡したんだけどね〜」
「……アンジェに替わるか?」
「ううん、伝言でいいわ。申し訳ないけど、明日夕方でいいから
一度顔を出してって伝えてくれる?」
「急ぎか?」
「ううん、急ぎはしない」
「…伝えるのは明日の昼以降になるぞ?」
「うん、そうだね。それじゃお願いします。アンジェに頑張って
って言っておいて」
「……俺に頑張れじゃねぇのか?」
「う〜〜ん、ま、そうだね。アリオスも頑張って楽しんでね。
あ、ハッピーバースディ、アリオス。それじゃ」
そう言ってレイチェルは通話を切った。
――?
メールでもよさそうな連絡事項を、わざわざ通話にしてきた
ところが今一つ『レイチェルらしく』ないような気もする。
一瞬、今、アンジェリークに伝えたほうがいいのか、とも思ったが、
そのタイミングで
「アリオス、準備出来たよ。着替えてくるからちょっと待っててね」
とアンジェリークが呼んだ。
――ま、明日でいいって言うんだから、明日でいいんだろう…。
パタパタ…と二階に上がるアンジェリークの後ろ姿を眺めつつ、
そう判断した。
こういった2人だけの晩餐の時にも、いつもアンジェリークは
ちょっとしたおしゃれをする。
新しい服だったり、髪飾りだったり。
ちゃんと薄く化粧もしてくるし、それが案外手早い。
一緒に旅をした頃、『女の支度は長い』と決めつけて悠長に
構えて、逆に焦らされた事が何度かあった。
――トロくてニブイ奴のクセに、妙なところが素早いんだよなぁ。
ちょっと昔を思い出したところで、
「待たせてごめんね、アリオス」
と、アンジェリークが降りてきた。
「へぇ…」
現れたアンジェリークにアリオスは目を見張った。
ワインカラーのワンピース。
栗色の髪を飾るのも、柔らかな光沢を持つ同色のリボン。
シックな色合いがいつもより彼女を大人びてみせる。
「えっと、どうかな?」
小首を傾げて微笑む唇も、いつもより大人びた色合いのルージュ。
そのくせ含羞んだ表情はいつものままで…。
「…いい感じだぜ、それ。似合ってる」
思わず見惚れてしまったから。
こんなところに言葉を惜しむ気はない。
アリオスの誉め言葉に、アンジェリークの頬がぱぁっと染まって
「ありがとう」
と、零れる笑顔を返した。
「アリオス、お誕生日おめでとう!」
アンジェリークがそれは嬉しげに、はいっとプレゼントを差し
出した。
「ああ…サンキュ…」
――本当に嬉しそうだな…。
内心笑って、そうして差し出された物に目を移す。
「へぇ…」
少しばかり驚いた。
それはリボンで飾られたワインのボトル。
「えへへ…。今年はちょっと大人っぽく、お酒にしてみました」
照れた上目遣いに、ちょろっと舌をのぞかせるアンジェリーク。
「………」
「えーっとね…」
一瞬沈黙してしまったアリオスには気付かず、アンジェリークは
ごそごそと、手の中の紙片に目を落とした。
「えっと…『芳純な香りとまろやかな咽越しとすっきりとした後味、
少々若い分、それがまた味わいとなって楽しめる』ワインだって。
気に入ってくれたら嬉しいんだけど…」
「ほーーー、そりゃ、また……」
手の中のボトルとアンジェリークを等分に見比べる。
なんとなく、飾られたリボンが同じに見える。
「…………クッ、ハハハッ!」
「え? な、なにか変なの、このワイン…」
「ハハハ、い、いや、そんなことねぇ…。ちゃんとしたワインだ」
まだ笑いを押さえかねて肩を震わせるアリオスに、きょとんと
した顔を向けるアンジェリーク。
「笑って悪かった。サンキュ、アンジェ。大事に全部楽しませて
もらうぜ、両方とも」
「え? 両方??」
「クッ、なんでもねぇって。さ、メシにしようぜ。せっかくお前が
気合い入れて作ってくれたのに、冷めちまう」
片手にワイン、片手にアンジェリークの手を握って、アリオスは
テーブルへと歩いた。
「ごちそうさん、美味かったぜ」
「えへっ、ありがとうっ! ちょっと頑張ったかいがあった」
照れつつも、嬉しそうに笑うアンジェリークに、アリオスも自然と
笑みが浮かぶ。
「お前、料理が上手くなったよな」
元々、意外に料理が上手かったアンジェリークだが、この頃は
アリオスの好みも熟知して、手際もよい。
「やっぱ、あれだな。好きこそものの上手なれってやつだな」
「えっ? 好きって…その、あの…」
「……お前、好きだろ?」
少し声のトーンを落としたアリオスが、額が触れ合うくらいに
顔を寄せる。
そうしてアンジェリークが見上げるタイミングで、ニッと笑った。
「………食いモンが」
「!! アリオスっ!」
「ハッハッハ!」
アリオスは咽を鳴らせて笑うと、大きな瞳で睨んでいるアンジェ
リークの頬に手をやり、顔をあげさせた。
「…それじゃ、お前が好きなのはなんだ?」
「…………」
「言ってくれてもいいんじゃないか?」
「…………」
「ん、アンジェ?」
「…………アリオスが好き」
今さらだけど真っ赤になって、それでもちゃんと言葉に出して
くれたアンジェリークに、アリオスは目を和らげて微笑む。
「…サンキュ、アンジェ」
そうしてそっとキスをした。
「それじゃ、さっさと片づけちまおう」
かちゃかちゃ、と、アリオスは皿を重ね始める。
「あっ、アリオス、私がするわ」
「一緒にした方が早いだろ?」
その方が夜が長い。
アリオスにしてみれば、ここから先の方がメインなのだから。
――このまんまベットに浚いてぇけど、それじゃこいつ、落ち着か
ねぇし…。
じっくり味わう為には、少しばかり待ってやってもいいだろう。
その代わり――。
アンジェリークがキッチンで泡のスポンジを持ったところで――
つまり動けない状態のところで――ゆっくりと躰を寄せる。
なぁに? と振り仰いだところで、とっておきの声で耳元に囁く。
「風呂、一緒に入ろうぜ?」
「!!」
案の定、真っ赤になって固まったアンジェリークに、駄目押しの
誘いの笑顔を向け、
「いいだろ?」
と首を傾げた。
さらっとアリオスの銀の髪がアンジェリークの前髪にうちかかる
――。
「う……あの、その………」
固まってしまったアンジェリークだが、ごくんと唾を飲んでそ〜っ
と目を上げる。
「えーと、あの……アリオス、先に入って…」
「あ?」
途端にアリオスの眉が顰められた。
アリオスにしてみれば、他の日はともかく今日くらいは素直に一緒に
入ってくれると思っていたので――それこそ『誕生日のご利益だ』
と思っていたので。
「えとえと…」
すうっと変わるアリオスの空気に、アンジェリークが慌てて彼の
袖口を掴んだ。
「つ、次は一緒に入るから…ね。…入るよね、後で…」
だからお願い、と大きな瞳を向けるから。
そんな顔をされたら不機嫌ではいられない。
「クッ…分かったよ。次だな」
「う、うん。約束する」
と真っ赤な顔で小指を差し出す。
――んなもんじゃ足りねぇな。
そのままアリオスはアンジェリークの頬を引き寄せた――。
「ククッ、それじゃ、先に入ってるぜ」
アリオスが咽に笑いを込めつつ、二階に上がっていった。
後に残ったのは、そのままずるずるとキッチンに座り込むアンジェ
リーク。
「っ!! ……アリオス、ずるいっ…」
本当はもっと抗議したかったが、とても声なんか出なかった。
だから心の中で、
――ずるいっ! いきなりあんなキスなんかずるいっ!!
と叫んで、彼の消えた二階を睨み上げた。
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