彼女の部屋に泊まった夜
2




 「えっと、ちょっとその辺りに座っててね」
 部屋に入ってアリオスにそう言うと、アンジェリークは洗面所に
閉じこもる。
 急いで手当てして、ふうと一息。
 そうして、備え付けの小さなキッチンでお湯を沸かし、お茶をい
れ始めた。
 アリオスにはストレートの紅茶。自分にはミルクたっぷりのミル
クティをトレーに載せて居間に戻ると、アリオスはソファに座っ
て、クッションを手にして見つめていた。
「ごめんね、アリオス。お茶入れたの」
「あ、ああ。サンキュ」
 顔を見上げて僅かに笑う。特に何も聞いてこないアリオスに、気
づかれてなかったとホッとする。

「このクッション。まさか、お前が作ったんじゃねぇよな?」
「え?」
 それは細かな模様のパッチワークが施された、ちょっと大きめの
クッションだった。作りもしっかりとしており、縫い目も綺麗に
揃っている。アンジェリークの裁縫の手並みを知っていたので、不
思議に思って訊きたのだった。
「うん。それは、ママが作ったの」
「お袋さんが?」
「うん。ママはそういうの作るのが得意だったの」
 にこっと笑うアンジェリークに、もう一度アリオスは手元のクッ
ションに目を降ろす。
 両面に色とりどりの布で、咲きこぼれる花々をデザインしている。
 柔らかな生地に、ふわふわとした、丁度アンジェリークが抱きか
かえられる位の大きさ。手触りも抱え心地も柔らかい。
「…随分、いいクッションだな」
「うん。こっちに来る時、ママが贈ってくれたの。そのクッション
とベットカバーと」
「ふうん…ベットカバーも手作りなのか?」
「うん」
「…見せてくれねぇか? そのベットカバー」
「え? うん、いいけど」

「これは…!」
 一瞬、どこかの花畑にいる錯覚を覚えるような。
 クッションと違い、ごく単純な模様の繰り返しであったが、それ
ゆえに、小さな様々な布を美しく配置されたそのカバーに、アリオ
スは言葉に詰まった。
 アンジェリークがポンッと弾むようにベットに腰を下ろす。
「お、おい、アンジェ。そんな立派なものに座るなんて…」
「大丈夫だよ。ほら、アリオスも座って?」
 アンジェリークは隣をポンポンと叩いて、見上げてきた。
 恐縮しつつも腰を下ろす。間近で見れば見るほど素晴らしい作品だ。
「…あのね、この布ね……」
「うん?」
 アンジェリークの白い小さな手が、カバーを滑らせる。
「私の小さな頃の服や、家族の服の布が混じっているの」
「え!?」
 再びカバーを見つめ直す。
「んんっと…」
 アンジェリークの指が、花を探すかのように、布の花畑の上を彷
徨う。
「この赤い花柄の服は、私のお気に入りだったの。こっちのチェッ
ク柄はパパのパジャマ」
「…アンジェ」
 言葉に詰まる。
 とても座っておれず、腰を浮かしかけたアリオスの腕を、アン
ジェリークの手が重ねられる。
「………」
 見上げられる青緑の澄んだ瞳に魅せられる。
 そっと引き寄せ腕を回す。
「素晴らしいもの、もってるな…」
 最高級の絹に、金糸銀糸をあしらった総刺繍が、重いほどに施さ
れたカバーのかけられた寝台。あそこで安らぐ眠りについたことな
どなかった。いっそ、煤けた酒場の壁にもたれて酔いつぶれていた
ほうが、何倍も心地よかった。
「こんな素晴らしいカバー、見たことないぜ」
「ありがとう」
 アンジェリークが、それは嬉しそうに微笑む。
 
 
「なあ…。今夜はここに泊まっちゃダメか?」
「え? それは構わないけど…」
 と、そこでアンジェリークはハタッと思いだした。
 泊めるのは構わない。
 でも。
 今夜は、アリオスの求めに応えられない――。
 こちらに戻ってから、毎晩アリオスの部屋に泊まって、だから毎
晩アリオスに抱かれている。
 それは嫌じゃない。
 恥ずかしいけど、でもとっても嬉しいことだから。彼の腕の中で
迎える眠りはとても心地よい。
 だけど――。
 今日は、彼にどう求められても応えられない。
 それをアリオスに伝えなければならない。
 ――どうやって!?
 アンジェリークの動揺を知ってか知らずか、アリオスの腕が背に
回る。
「わっ…あ、あの、あのっ! アリオス!!」
 髪に首筋に耳朶にと小さなキスの雨が降ってくる。
「待って! 待って、アリオス!」
「どうかしたか?」
 首筋に唇を当てたまま、アリオスの低い声が耳朶に響く。
 ジンッと体の奥に響いてくる。だけど――。
「あっ、あのっ…だ、だめ、なの」
「なにがだ?」
 アリオスはアンジェリークに頓着せず、大きな手を髪に背中に漂
わす。
「だ、だから、き、き、今日は、だめなの」
「なんでだ?」
 覗き込んだアリオスが小さく首を傾げる。
「嫌なのか?」
「そ、そ、そうじゃなくって! だから、そのっ」
 どうしても言わなくてはならない。
 アンジェリークは覚悟を決め、アリオスの胸に顔を埋めて、勇気
を振り絞って
「あのっ………生理なの」
 か細い声で、なんとか告げた。
 と。
「よく言えました」
 

「えっ!? ア、アリオス…あのっ…分かってたの?」
 見上げた先のアリオスは、ただ微笑んでいるだけ。
「そりゃ、な」
「………ど、ど、どうして!?」
「どうしてって…夕方から気怠そうに歩いてたじゃねぇか」
「え!?」
 『え!?』と言われて、逆にアリオスの方が訝しげに首を傾げる。
「お前って、生理の始まりの時は腹とか腰に来る方だろ? 歩き方
が少し重たげになるんだよ」
「そ、そ、それじゃ…もしかして、以前から分かっちゃってたの!? 
始まっちゃったときとかを」
「ああ」
 あっさりと、あまりにあっさりとアリオスは頷く。
「だから、生理の最初の日とかは、なるべく移動しないようにして
ただろ」
 心当たりは…いっぱいある。
 旅したころも、アルカディアでも。
「も、もしかしてっ、旅してた時から分かってたの!?」
「まあな」
 しれっと頷くアリオスの、涼しい顔にどっと羞恥が沸き上がる。
「ア、ア、アリオスのえっち!!!」
 身を引き剥がそうと腕をつっぱるけど、アリオスは可笑しそうに
咽を鳴らして抱きすくめる。
「ほら、暴れんなよ。腹に来るぞ」
「やんっ! 離してよ〜〜」
「んなに狼狽えんなよ。当然のことだろ?」
「だっ、だけどっ!!」
 言い募ろうとするアンジェリークの唇に、スッとアリオスの指が
触れる。
「分かってたけど、お前の口から言って欲しかった」
「え?」
 今度はきょとんとしてアリオスを見つめる。アリオスはただ優し
い笑みを浮かべてる。
「生理だとか、そういうことを、ちゃんとお前の口から聞きたい」
「アリオス…」
「セックスにしてもそうだぜ」
「セッ!!」
 『セックス』という『言葉』に瞬時に反応して、熟れたトマトよ
りまだ赤くなるアンジェリーク。その顔に、アリオスはフッと笑み
を漏らし、頭を撫でる。
「ま、仕方ねぇんだろうけど、欲しいのは俺だけかって、思えちま
うこともある」
「そ、そ、そんなことはないよ」
 慌てて身を乗りだして首を振る。アリオスにそんな風に思われた
くない。
「そ、その、恥ずかしいけど…でも、でも、イヤじゃないのよ。う
うん…えっと…」
 アンジェリークは、ちゃんと、自分の心が伝わる言を探す。
「あのね…アリオスと一つになると、安心するの。嬉しいの。こう
してアリオスの腕に抱かれているとき、一番ホッとしてて、一番ド
キドキしてるわ…」
「そうか…。サンキュ、アンジェ」
 アリオスの金と緑の瞳が柔らかく細められ、近づいて来る。その
美しい瞳に一瞬見とれ、そうして目を閉じた――。
 



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