彼女の部屋に泊まった夜
1




 薄い朱色がすっと滲む。
 ――あ…始まっちゃった…。
 どうりで夕方から腰の辺りが気怠いと思った、と納得して。
 今、始まったばかりなので、急いで手当てしようと思ってから、
はっと気がついた。
 ――わっ、どうしようっ!!
 
 ここはアリオスに通した客間のトイレの中。
 手持ちに生理用品を持っていないばかりか、トイレを出ても用意
なんてなくて。
 とにかく自分の部屋まで戻らなければならない。
 そこまで考えて、アンジェリークがトイレから出ると、ソファに
座っていたアリオスが振り返り
「お前、大丈夫か?」
 と、真顔で尋ねた。
*****

 
 アリオスと共に、アルカディアでの二泊三日の小旅行から帰って
きた日。
 昼過ぎに聖地に戻り、アンジェリークはそのまま執務に戻った。
 顔を見せると、レイチェルは
「あら、もっとゆっくりしてきてもよかったのに」
 と言いながら、アンジェリークのサインが必要な書類を並べた。
 二泊三日とは言え、それなりに状況は進んでおり、その経緯を
追って書類を読みつつサインして…やがて大きな窓から夕陽が差し
込み、室内が紅色に染まる頃。
 コツン、と小さなノックの音に顔を上げると、アリオスがドアに
もたれて立っていた。
「あ…アリオス……」
「そろそろ終わる頃だと思ってな」
 アリオスはゆっくり執務室に入って、アンジェリークの目の前に
立つ。その姿を目にした途端、何故かほんのり体温が上がる気がした。
「あ、う、うん。この書類で一応終わり……」
 ドキドキ、と鼓動まで大きくなる気がして、慌てて書類を目の高
さまで掲げた。
 ほんの数時間前まで一緒にいた筈なのに、懐かしいような照れ臭
いような。
「…じゃ、ちょっとつきあえよ」
 アリオスは長い指で書類をめくって、アンジェリークの顔を覗き込む。
「う…ん」
 どうしようもなく顔が赤らんでしまう自分を感じた。
 
 湖の畔を散歩して、一緒に夕焼けを眺め、食事をして。
 そんな一日の終わりを共に過ごして。
 ――もっともっと一緒にいたい…。
 以前、どうやってこの気持ちを我慢していたんだろう?
「…なぁ、寄ってけよ」
 誘われるまま、アンジェリークは頷いた。
 パタンとドアを閉めた途端、ぎゅっとアリオスの腕に抱きしめら
れる。言葉を出す前に唇が塞がれる。
「ん…っ!」
 背中と腰に回された腕の力強さ。
 アリオスに抱きしめられ、その唇を受ける。
 包み込まれる優しいキスが、やがて熱く濡れたものを差し込まれ
搦めとられる。それに翻弄されて頭の芯がぼうっとしてくる。
 だけど心と体が喜びと安堵に浸される。
 こんな風に抱きしめられ、こんな風なキスをしたのは、ほんの数
日前だというのに――。
 
 今まで知らなかった安堵と喜びに夢中になって、だから気がつい
たときは、奥の寝室へと運ばれていた。
「っ! ア、アリオス!? ちょっと…」
 待って、と声をあげる前に、覆い被さられて、彼の逞しい肢を受
け止める。アリオスは、それが当然と言うかのように、首筋に唇を
這わせつつ、背中に回した手でファスナーを下げる。
「わっ! ちょ、ちょっと、ねっ、アリオス!」
 アリオスに触れられる悦びに流されかけて、それでも、理性を振
り絞って、彼の胸板に手を置き制す。
 ここは二人っきりだったアルカディアではなく、女王として居る
新宇宙の聖地なのだ。皆、薄々察しているようだが、だからといっ
てこのまま抱かれるのには戸惑いを覚える。
「…いいから。俺に任せとけ」
 アンジェリークの逡巡を溶かすように、アリオスはそっとアン
ジェリークの頬を優しく撫でて微笑んだ。
「言った筈だぜ。もう、お前を離さないって」
「で…でも」
「お前が嫌ならやめるぜ。でも、そうじゃねぇなら、後は俺に任せとけ」
 そう言って覗き込むアリオスの瞳に吸い込まれる。
「悪いことをしてるわけじゃねぇ。ただ、お前と愛し合いたいだけだ」
 低く、耳朶を啄ばまれながら囁かれると、もうアンジェリーク
は、心が、体が抵抗できなかった。
「…うん」
 含羞みながら頷いて、アンジェリークはアリオスの逞しい背中に
腕を回した――。
 
 その夜から、一夜たりとも余さず、アリオスの部屋に泊まってい
る。毎朝こっそりと着替えに部屋に戻ってはいるけれど、そろそろ
周囲に気づかれつつあることは、流石のアンジェリークにも分かっ
ている。レイチェルだけには「アリオスの部屋に泊まっている」と
言ったけど、「あっそ。了解」と言っただけだった。
 そうして十日程過ぎて――。 

*****


「お前、大丈夫か?」
「え? あ、う…うん」
 何故アリオスが大丈夫かと尋ねたか、よく分からないまま頷く。
「あ、あのね、アリオス。ちょっと忘れもの…。お部屋に戻らない
といけないの」
「ああ。そうか」
 アリオスは小さく頷くと立ち上がり、上着をひっかける。
「ほら、行くぜ」
「えっ? あ、あの、一人で行ってくるから」
「お前の部屋まで結構距離あるだろう? ま、宮殿の中だし危ない
こともねぇだろうけど、念のためだ。一緒に行くぜ」
「…………」
 断る言葉も見つからず、なにより体の方が気になって、
「…うん」 
 と、そのまま部屋を出た。
 長い廊下を並んで歩く。真夜中という訳ではないから、女官とす
れ違ったりもするが、彼女達は軽く会釈するだけで、特には何も言
わなかった。


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