*****
――うわ〜〜。お花、植え替えたんだ……。
その家の庭は、本当に見事な花壇だった。 丹精に花を咲かせているだけでなく、配置も彩りも見事だ。
アンジェリークは天使の広場に来るたびに、この庭の前で足を
止めて、暫し見とれてしまうのだった。
初夏へと向う季節を先取りして、白を基調として青や瑠璃色や、
そうして、ところどころに淡い黄色の小花が咲き乱れる。
――本当に綺麗……。
何気なく柵に手を置いて、ぼうっと見とれていると、
「…失礼ですが、そこの花壇をご覧になっている、栗色の髪をされた
娘さん?」
後ろから声がかかった。
「はい? 私ですか?」
振り向いたアンジェリークの目の前に、一人の若い男が立っていた。
「そうです。突然声をおかけして、すみません」
男はニコリと微笑んだ。
その笑顔がとても柔らかく、人懐っこくて。アンジェリークは
(なけなしの)警戒心を解いた。
「えーと、なにかご用でしょうか?」
小首を傾げて笑いかける。
男は、安堵したように目を細めると、
「はい。実は、大変失礼かと思うのですが、お願いがあるのです」
「お願い? 私にですか?」
「はい。あなたに」
男はそう言って頷くと、まだ柵にかかったままのアンジェリークの
手を指さして
「よろしければ、貴女の指を持たせて欲しいのです」
と言った。
*****
「なっ! なんだって!!!」
そこまで(内心、冷や冷やしたり頭をかかえたりムカついたりは
しながらも)大人しく聞いていたアリオスが、一気に怒りを露にすると、
未だ噴水の傍らに立つ男を容赦なく睨みつける。
その鋭さ。激しさ。冷ややかさ。
かつて『美貌の悪魔』と称された瞳そのもので。
敏感な者なら、寒けで震え上がる眼力で。
だが、しかし――――。
噴水の男は、鈍いのか、図太いのか、まったく気が付かない風に、
のんびり空を見上げたりする。
――……おい。あの男、アンジェ並だぜ。
そうなると、アリオスの怒りの矛先はアンジェリークに向けられる。
「おい、アンジェ。一体、何度言えば分かるんだ」
一応、男に向けた視線の厳しさを5割引きにはして、アンジェ
リークを睨む。 「お前の、ボケで鈍くて単純馬鹿は天然だから仕方ねぇけど、
その頭っから人を信用しちまうのだけはなんとかしろ」
容赦の無い言葉に、流石にアンジェリークも傷ついた風情で。
「ひどーい、アリオス」
「なにがひどーい、だ。お前いつか手ひどく騙されて取り返しの
つかない目にあうぜ」
「あら、大丈夫よ。いままでそんな目にあったことないもの」
「ばかやろう。少なくとも、俺はお前を騙していたぜ」
「あら…」
アンジェリークは大きな瞳を向けると、眉を釣り上げ、ぷくっと
膨れる。
「アリオスは私を騙してたかもしれないけど、私はアリオスに騙された
つもりはないの。だから、私は騙されたこと、ないわ」
「……………」
絶句。
そうして、突然、アリオスは思いだした。
『当たり前のことをきかないでちょうだい、アリオス!』
引き結んだ唇と、釣り上がった眉。きっと睨んだ大きな瞳。
本気で怒ったアンジェリークは、息が止まるほど――美しかった。
思いがけず、そんなアンジェリークを見れたことに胸熱くして、
そんな自分が可笑しくて、思わず笑ってしまったほどに。
「アリオス?」
黙ってしまったアリオスに、アンジェリークが訝しげに覗き込む。
「…なんでもねぇよ」
今となれば、終わってしまった事となって。アリオスは苦笑して
手を振る。
「けど、お前。そんなナンパに、のこのこ付いて行ったんじゃねぇ
だろうな?」
ひとまず、肝心なところを確認する。
「えっ!? ナ、ナ、ナ、ナンパって、そ、そ、そ、そんなんじゃ、
ないじゃないっ!!」
「…………………」
『ナンパ』という言葉そのものに、過剰反応したアンジェリークが、
そりゃもう見事に真っ赤になって、その上、律義に上目遣いに睨む。
はっきし言って、アリオスにとっては悩殺ものだ。
――こいつ…俺が手、出してねぇのをいいことに、全っ然、成長
してないんじゃねぇか?
内心、盛大な溜息をついて。
「ナンパじゃないなら、なんだよ?」
と尋ねると、赤く染まった頬を両手に包み込みながら、大きな瞳で
見上げる。(…可愛すぎる)
「あのね……」
|