Angel Tears

5



 パーティの熱気にあてられて、アンジェリークはバルコニーに
佇んでいた。
 満天の星が輝いている。
「きれい…」
 思わず吐息のように声が出た。
 
「アンジェリーク」
 呼ばれて振り返ると、ヴィクトールが立っていた。
「ヴィクトール様…」
「…お前に話しがあってな」
 なんとなく並んで星を見上げる。星空を見上げながら、
ヴィクトールが言った。
「…実はさっき、軍から連絡があって、正式に軍に復帰して
 欲しいと要請があったんだ」
「まあっ! よかったですね」
 アンジェリークの顔が輝く。だが、ヴィクトールは笑みも
返さず、低く言った。
「…皇帝を退けた功績を認めて…だそうだ…」
「…………」 
「そんな功績、俺は欲しくない…」
 ヴィクトールの大きな体が、細かく震えている。

「ヴィクトール様」
 小さな沈黙の後、アンジェリークが静か見上げる。
「ヴィクトール様は王立派遣軍に無くてはならない人だと
 思います。きっと……」
 そこでアンジェリークの言葉が僅かに切れる。
「きっと、アリオスも、よかったじゃねぇか、って言って笑って
 くれますよ」
 微笑みながら、アンジェリークの青緑の瞳から、一粒の涙が
こぼれ落ちる。
「…そうか……そうだな…」
 ヴィクトールも苦い笑みを浮かべて頷いた。
 
「あ…私、ヴィクトール様にお礼を言うのがまだでしたね」
 そっと涙をはらったアンジェリークが、思いついたように
見上げてくる。
「うん? なんの礼か?」
「虚空のお城で…私を抱えて連れ出して下さったでしょう? 
 そうして頂かなかったら、私、あのままお城に埋もれてました…」
「お前一人抱えることなど、大したことじゃないぞ」
「でも…、本当にありがとうございました」
「お前から礼を言われることじゃない…」
 礼を言ってもらいたいのはあの男からだ。

 
『…言うな…頼む…』
 自分の剣を受け、膝をついた彼の口から呟きのように出た言葉。
駆け寄って来るアンジェリークを愛しげに見つめた瞳。

 この結末を得た以上、皇帝への憎しみはない。
 だが、アリオスに対しては憤りが湧く。
 ――お前にはこれしかなかったのか!?
 
 
「ヴィクトール様。ここからヴィクトール様と二人で旅に出た
 のだったですね」
「そういえばそうだったな…」
 次元回廊の向こうから現れた少女は、小さな生徒だった時と
変らず、優しげな微笑みを浮かべ、そうして旅が始まった――。

 アンジェリークが星空を見上げる。
「私…ここに来てよかった…。この旅をして、本当によかった …」
 その瞳からこぼれ落ちる涙の輝きに、ヴィクトールは思わず
見入り、そうして視線をそらした。
 その涙をはらうべき男はたった一人なのだから――。
「夜風に当たりすぎるのは体によくない。気をつけろよ」
 そう言って、その場を後にした。
 


 星の空は、旅の想い出を映し出す。
 
 あれは暑い島だった。妙にレイチェルとアルフォンシアが
懐かしくて会いたくて、星の空を眺めていたら、あの人が声を
かけた。眠れないと言うと、眠りの呪文を唱えてやろうか、と、
半分からかい気味に、でも心配そうに言ってくれた。
 
『寝て起きたら、どっか違うところにいるかもしれねぇけどな』
『うふふ。何処かに連れて行ってくれるの? アリオス』
『…いいぜ。どこに行きたい?』

 一目レイチェルとアルフォンシアに会いに行きたい。
 そう言った後は覚えていない。朝、目が覚めるとベットの
上だった。
「ありがとう。アリオスがベットまで運んでくれたのね。
 …ごめんなさい…」
 そんなつもりは無いのに、いつもアリオスに迷惑かけて
しまっているのが心苦しくて、俯いてしまった。
 だが、上から降ってきた声は、
「そのまま置いとくわけにもいかねぇだろ?
 お前、打ち上げられたマグロみてぇに寝呆けてたし」
「なっ! マ、マグロって」
「あ、悪ぃ。間違えた。フグだな」
「ア、アリオス!!」
「おっと。ピラニアだったか?」

 
 ――アリオス!!
 もうあの顔も見ることも、あの声を聴くこともないのだ。
 耐えきれず、バルコニーに腕を抱えて突っ伏す。嗚咽が胸から
沸き上がり、目の奥が熱くなる――。
 不意に。
 優しい風が首筋を通る。驚いて振り返って見上げると、輝く
満天の星空が広がっていた。

 帰ろう…。
 矢も盾もなく、懐かしい。
 流れる黄金と菫のレイチェル。
 白と桃のアルフォンシア。
 そうして――。
 何故か、何故だが、あの愛しい宇宙にアリオスが待っている
ような気がした。
 
「アリオス…今度こそ、連れて行ってくれる?」
 まるでアンジェリークの呟きに答えるかのように、星が一つ
流れた。
 


「アンジェリーク…」
 バルコニーに佇んだ少女。暫く見守っていたが、リモージュ
はようやく声をかけた。
 振り返ったアンジェリークは、リモージュを認めて微笑んだ。
「…帰るのね?」
「はい」
 頷き微笑む少女の瞳には、絶望の色はない。
 悲しみと寂しさの憂いの色は混じったけど、変らない優しさと
そうして以前には無かった強さが輝く。
 ――強くなったのね…。
 それは彼が教えたもの――。

「あの人を…アリオスを愛していたのね」
 リモージュの問いに、アンジェリークは真っ直ぐな瞳で
「…はい」
 と頷いた。
「アリオスは、敵だったけど、それでも…それでも私は…
 あの人が好きでした」
 青緑の瞳から、小さな光の粒がこぼれ落ちる。
「…いいえ、今も、愛しています」
「…失ったものは大きいかもしれないけど…元気を出してね、
 アンジェリーク」
 そっと、アンジェリークを抱きしめる。
 この細い体で、この宇宙だけでなく、彼の心も救ったのだ。
「この先、あなたの宇宙には、守るべき生命がたくさん生まれて
 くると思うの。彼の分も、それらの生命を愛しなさい。
 そうすることで、彼の魂も、あなたの心も救われるわ」
「陛下…」
「今は、悲しみの感情で一杯かもしれないけど、いつかきっと、
その想いが報われる日が来るはず」
 と、アンジェリークが瞳をあげる。 
「陛下…。あの…私…予感がするんです。
 …もう一度、アリオスに会えそうな予感が…」
「まあっ!」
 リモージュは、それは嬉しそうに微笑んだ。
 
 
「それは素敵な予感ね」



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