朝日が窓から差し込んできた。
「ん…んん……」
小さな身じろぎと共に、ベットの少女が瞳を開く。
そうしてあの美しい青緑の目を向けた。
「へ、陛下!?」
「…おはよう。アンジェリーク」
「あ…あの……」
言いかけて、アンジェリークは思い出した。
その面輪がピリリッと強ばる。
「陛下…」
「…なにも言わないで。アンジェリーク」
そっと、少女を抱きしめる。
――願わくば、少女の心を癒せますように…。
――彼の想いが届きますように…。
窓から聞こえる人々の声に
「え…?」
アンジェリークは目を見開き、窓を覗き込む。
「まあっ、人が…!」
昨日まで、ここは誰もいない村だったはずだ。
呆然と目を見開いているアンジェリークを覗き込み、
「少し、歩いてみる?」
リモージュが誘うとアンジェリークは、コックリと頷いた。
街は朝陽に煌めいていた。
村の広場のあちこちに、人がいる。
「あの、すみません…この村って、以前は誰もいなかったように
思うんですけど…」
通りかけた女性にアンジェリークは問い掛けた。
「ああ。あんたたち、前のことを知ってるんだね」
彼女は大きく目を見開いて、一つ息をする。
「それがさぁ、聞いておくれよ! 私が旅行に行ってる間に、
みーんな消えちゃって、誰もいなくなっちゃったんだ。
このままじゃ暮らせないんで、親戚を頼って他の惑星に行って
たんだけど…。
さっき、荷物を取りに戻って驚いたよ。いなくなったてた人達が、
ちゃーんと帰って来てるじゃないか!!
もう、びっくりするやら嬉しいやらでねぇ…」
ボロボロっと、女性の目から涙が零れる。
「誰のおかげか知らないけど、感謝してもしきれないくらいだよ
…ううっ…」
「よかったですね…!」
アンジェリークは女性の手を取り、微笑む。
「ああ…ありがとう。
あんたたち、旅の人なら、この村でゆっくり休んでいくといいよ。
…それじゃ、またね」
女性はそう言うと、向こうに見知った顔を見つけたのか、手を
振り小走りで走っていった。
じっとその姿を見つめていたアンジェリークが、ポツリ、
「よろこんでいらっしゃるんですね」
と漏らした。
「おや、旅の人。お前さんたちは大丈夫だったのかね」
振り返ると、人のよさそうな老人夫婦が並んでいた。
「あの…大丈夫って、どういうことですか?」
アンジェリークが不思議そうに小首を傾げる。
「それがついさっきのことさ。空が突然明るくなって、目の前が
真っ白になったんだ。それからどうしたか、サッパリ思い出
せんのだよ。気づいたら、ここに立っておった」
「まあ…! あの…記憶が無いんですか?」
「私も、同じなんですよ。ここしばらくの記憶が抜けちゃった
みたいで…」
「…それは、大変だったですね」
老女は、笑って手を振り
「まぁ、何があったにせよ、主人がいてくれたんですから、
どうだっていいんですけどね」
と言って、ニコニコ老人の方を振り返る。
「お、おい、コラ。
旅の人に恥ずかしいことを言うんじゃない」
「あら、いいじゃないですか。本当のことなんだから」
「ふふ…でも…よかったですね!」
アンジェリークが笑みを溢す。
「ああ…あ、ありがとう…。あなたたちも無事でよかったな」
老人が照れながらも、笑ってくれた。
「皆さん…記憶がないんだ……」
アンジェリークが独り言のようにポツリと言った。
「陛下…あの…もう少し歩いてもいいですか?」
アンジェリークが振り返る。
「ええ。もちろんよ」
二人並んで、人々が増えてきている広場をゆっくりと歩いた。
「あれは、誰だったのかねえ…」
「さぁなあ。わしには、さっぱりわからん」
街はずれの近くで、中年の男女が、なにやら話し込んでいた。
首を傾げ、不思議そうな口調。
「あの…どうしたんですか?」
トコトコっと、アンジェリークはそちらに歩み寄る。
「いやね、ずっと前、この村に背の高い、黒髪の男の人が現れた
気がしてね」
「え……!」
アンジェリークの顔が一瞬強ばる。
だが、若い娘が
「あ! 私も見たわ!」
と、声を上ずらせて割って入った。
「すごーく素敵な方だったのよ。左右の瞳の色が違ってて、
それが色っぽかったの」
娘は身振り手振りをまじえ、キラキラと目を輝かせ
「あの方は、どこに行っちゃったのかしら。あ〜あ…」
と、娘は大きく溜息をつく。男が厳めしく眉をしかめる。
「まったく…お前たちはそんなことしか考えておらんのか」
「まあ、そんなことないですよ。ちょっと思い出せないから、
気になってただけじゃないですか」
「そうよぉ。あれが誰だったかなんて、ホントはどうでもいいの。
過去のことより、未来を楽しまなくっちゃ。
さーて、どこかに素敵な人がいないかな、っと」
娘は鼻歌を唄いそうなほど上機嫌で、広場の方へと歩いて
いった。
「まったく、あの娘は…ヤレヤレ」
残された中年の男女は苦笑いをしている。
朝が来て。人が居て。
みんな、覚えていないけど、笑っている。喜んでいる。
「…ふふっ。よかった……」
そうアンジェリークが呟いたとき――。
――よかったな。
背中から、確かに聞こえたあの人の声。
あわてて振り返ったアンジェリークの頬に、朝の風が吹きすぎ、
髪を揺らした。
「…………」
「どうかしたの?」
立ち尽くしたアンジェリークにリモージュは訊ねる。
「…今、アリオスの声が聞こえたんです。よかったな、って…」
「…そう……」
リモージュは深く頷く。
「それなら、きっと、そう言ってくれたのよ」
「! へ、陛下…!?」
振り返ったアンジェリークは、零れそうな程大きく目を見開いて
いる。
――ああ、なんて綺麗な瞳かしら?
森を映した湖のような、綺麗な澄んだ青緑。
「私は、そう思うわ」
「あなたには辛い思いをさせてしまったわ…」
「いいえ、いいえ、陛下! 私は…」
首を振るたび揺れる大地の髪。
「私は…私は、この旅をして、彼に出会えて、とってもよかったと
思います!」
微笑みながら、一粒涙がこぼれ落ちた。
そっと、そっとリモージュは、その身体を抱きしめる。
震えるアンジェリークの肩を抱きしめながら、その栗色の髪を
撫でながら、リモージュは青い空を見つめる。
そこにいる彼に向って、心の内で呟く。
――本当に、本当に預かるだけだなんだから、ね…。
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