夜が白む少し前。
一日のうちでもっとも静寂が訪れるその時刻。
強固なセキュリティをものともせず、新宇宙聖地の宮殿に現れる
影二つ――。
「あ〜、アリオス。ちゃんと出てこれたんだ〜〜」
手を振る見かけ少年と
「まあな」
軽く答える銀髪の青年。
そうして二人は宮殿の奥のある部屋に――厨房へと入っていった。
パチッ、と灯がまたたく。
タイルの白とステンレスの銀が眩しくて、アリオスは少し目を
眇める。
「よく出て来れたね、アリオス。あ、でも、アンジェリークに
気付かれないかな?」
「心配するな、ちゃんと寝かしつけてきた。あれじゃ朝まで起きれ
ねぇだろ」
「…………そーいう寝かしつけ方もどうかと思うけど…ね」
アルフォンシアが眉を寄せるが、アリオスはまったく無視して
手荷物をどさっとカウンターの上に置き、未だにぶつぶつ言うアルフォ
ンシアにくるりと向き合う。
「言っておくがアルフォンシア。材料は等分。抜け駆けは無しだぞ」
びしっと指さし睨みつけた。
「もー、当たり前じゃないさ。アリオスの方こそ、こっそり余分に
作ったりしないでよ」
アリオスの牽制をものともせず、アルフォンシアがぷーっと頬を
膨らませた。
ホワイトデー。
アンジェリークから『本命チョコ』を貰った二人は牽制しあって
…協力しあって手作りクッキーを渡すことにした。
レシピはアルフォンシアがレイチェルから聞いて、材料はアリオスが
調達してきた。
そうして夜明け前のこの時間に待ち合わせて、見張り合って、
二人して作ることにしたのだった。
「まぁったく、ほんとーに、ぜんぜっん、大人げないんだから」
「…………………」
クリーム状になったバターに砂糖を3回位に分けて入れて、更に白っぽくなるまで練り混ぜる |
「あなたがいない間、アンジェリークはず〜っとず〜っとあなたを
想って過ごしていたんだよ。それを思えば、少しくらい譲歩して
くれてもいいじゃないか」
「…………………」
卵を入れて更に混ぜ、先にふるっておいた薄力粉を入れてまとまるように混ぜる。 |
「大体ぼくは聖獣でアンジェリークの半身なんだからっ。妬いたって
仕方ないじゃない」
「…………………」
「ぼくばっか目の仇にしちゃって、みっともなく張り合っちゃってさ〜。
ぼくよりもっと他に気を回すべきところがあるじゃない の?」
「…………………」
「おい…」
そこまで黙っていたアリオスが、低い凄みの効いた声を出す。
「それはなんだ」
それ――アルフォンシアの手元には、ハート型で型抜かれた生地が
並んでいる。
「抜け駆けは無しだと言っただろ!」
「ぬ、抜け駆けなんかじゃないよっ。ぼくはレイチェルにもあげるん
だから。大体、そういうアリオスはどうなんだよ!? それは なに!?」
それ――アリオスの手元には、ココア色の生地が黄色い生地と
渦巻き模様を作っていた。
生地にグラニュー糖をまぶして160度のオーブンで10〜13分程焼く |
『割に簡単だけど、アンジェリークはこのクッキーが好きだヨ』
というレイチェルのお勧めレシピで、順調にクッキーが焼かれ
始めた。
香ばしい匂いがキッチンに広がり始める。
「ほらよ、アルフォンシア」
オーブンの前に陣取って、焼き上がりをずっと覗き込んでいる
アルフォンシアにアリオスはたっぷりのココアのカップを差し出した。
自分にはブラックのコーヒーで。
この焼き上がるまでの時間は一休みの時間だ。
「あ、ありがと〜〜」
一瞬オーブンから目を離し、差し出されたココアに目を細める
アルフォンシア。
普段は小憎らしいガキなのに、こういうトコロは酷く可愛く見え
るのが不思議だ。
――ったく、間違いなくアンジェの半身だよ…。
などと内心ため息をついたアリオスに、何を思ったかアルフォン
シアが目をあげた。
「ねぇ、アリオス」
「あ?」
「アリオスはアンジェリークにこのクッキーだけしかあげないの?」
「?」
何を言い出したのか分からず、長い前髪をかき上げながら首を
かしげる。
「ほら、アンジェリークに貰ったのって本命チョコでしょ? だっ
たらお返しがこのクッキーだけっていうのも悪いかなって思って、
ね?」
「はぁ…そういうモンか?」
「気持ちの問題だけどね〜」
「気持ち…ねぇ…」
考え込むようにアリオスは金と緑の瞳を細めた。
「それじゃ、お前は惑星でもプレゼントするのか?」
「はぁ? 惑星? あのねぇ、アリオス。ぼくを一体全体なんだと
思ってるの?」
「ただの小賢しいガキ。もしくは俺のアンジェをたぶらかす悪魔」
「ア〜リ〜オ〜ス〜〜〜」
「そうして俺の唯一にして最大の恋敵だな」
もしも相手が人間の男なら、こうまで気苦労なんかしやしない。
威嚇して遠ざける謀略も、自分だけの虜にさせる手段も持って
いる。
だけど――――。
こいつだけには通じない。
「ふーーん、アリオスってそんなこと考えてたの?」
アルフォンシアは驚いたように目を見開く。そうして少し困った
ように肩をすくめた。
「でもね、ぼくにはそんな力は無いよ。ぼくに出来るのは、ただ
アンジェリークにこの宇宙の意志を伝えるだけ。そうしてアンジェ
リークだけがぼくの『その声』を聴けるんだ」
「もしも出来るなら、惑星だってなんだってあげるんだけど、ね。
アンジェリークが望むなら」
「…………そうだな」
もしもアンジェリークが望むなら……。
それをアンジェリークが望むなら……。
もう一度この手を血に染め、他の宇宙を征して力を得るだろう。
「でも、アンジェリークはそんなこと望まない。だからぼくの女王
なんだ」
「ああ…そうだな」
そう、アンジェリークは望まない。
アンジェリークが欲しがるとすれば、喜ぶとすれば………。
宇宙を統べる力より、一輪の野の花に微笑むのだ。
そんなアンジェリークだからこそ、愛しい。
「それじゃ、これはこれで贈るとして、互いにアンジェが喜ぶモノっ
てのをプレゼントするか? あ、お前はアンジェとレイチェルが
喜ぶモノってことになるか」
「うん、ぼくはそうしたい」
「了解。あ、これに関しては抜け駆けとか言うなよ」
「もー、どっちがっ!」
またもやぷーーっと膨れたアルフォンシアに、アリオスはただ
小さい笑いを返した。
チンッという軽やかな電子音。
「あ、出来たみたい」
いそいそとアルフォンシアがオーブンを開ける。
同時に香ばしい香りが立ち上った。
「うん、上手く出来たね」
「ふん、見かけは悪くねぇみたいだが…」
と言って、アリオスはでき上がったばかりのクッキーに手を伸ば す。
「少し甘過ぎねぇか?」
「そうかな? ぼくは美味しいと思うよ。アンジェリークもこれ
ぐらいが好きだと思うけど」
「そうか? まぁ、レイチェルのレシピだから、間違いは無いだろう」
あのレイチェルのことだ。アンジェリークに贈るものと分かって
いて、不味いモノを作らすワケは無いだろう。
そう納得して、残りの生地をオーブン皿に並べ始めた。
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