秋の初め。とある夜。
既に湯上がりのアンジェリークは、アリオスは膝の上で。
気紛れで、悪戯なアリオスの手に、クスクス笑いながら、軽く酒も
入って上気した身体をくねらせていた。
と。
「ね、アリオス。もうすぐ誕生日ね」
向けられた青緑の瞳。嬉しそうな笑顔。
「………」
咄嗟に言葉を詰まらせたアリオスに、アンジェリークが不思議
そうに小首を傾げて覗き込む。
「アリオス?」
「…そうか。そうだったな」
11月22日。
厳密に言えば、その生年月日を持った生は、一度自らが消し去っ
た。その後、魂はこの新宇宙で、肉体を持ってはアルカディアで転
生をした。
レイチェルに頼まれて個人情報を書こうとして、名前以外は書け
なかったことを思い出して、アリオスはフッと笑みを漏らした。
「ねぇ、アリオス。お誕生日は何が欲しい?」
アンジェリークがにっこりと問い掛ける。
「あ、そりゃ、もちろん…」
即座に望みを言いかけたアリオスだが、
「あ、『私』っていうのは無しだからね」
アンジェリークは、慌てて手を振って釘を刺した。
以前、クリスマスのリクエストを尋ねた時、『お前』『特別な日
の特別なお前』『リボンをかけたお前』と、真剣に答えてくれな
かった事を思い出したのだ。
「…くれないのか?」
一瞬、目を見開いて、次にひどく落胆した表情を浮かべるアリオス。
「だから、そういうんじゃなくって…」
「くれないのか?」
「形があって後に残るもので」
「くれないのか?」
「出来れば身に付けるようなもので」
「くれないのか?」
「もうっ………そりゃ、あげるけど」
溜息混じりにアンジェリークが呟く。
――アリオスって、時々どうしようもなく子供になっちゃうんだ
から…。
アリオスはというと、途端にそれは嬉しげに目を細めて笑った。
トクンッ。
アリオスのその表情(かお)にアンジェリークの胸が高鳴る。
「それじゃ、もうちょっと、ねだっていいか?」
膝の上のアンジェリークを抱き直し、頬擦りするように顔をよせ
る。こんな風に言われたら、アンジェリークは逆らえない。
「う…ん、なあに?」
「どうせなら、『待って』とか『駄目』とか『だって』じゃなく
て、『もっと』とか『そこがいい』とか言うお前、がいいなぁ」
「なっ!」
瞬時に真っ赤に染まった頬を、つんっと指で突いて
「そんなお前が俺は欲しいんだぜ」
と言いつつ、アリオスはつっと上体を倒し、そのままアンジェ
リークを身体の下に組み敷く。
「ち、ちょっと! アリオス!!」
「ん? なんだ」
アンジェリークの戸惑いに構うことなく、首筋に唇を漂わせ、薄い
布地をかいくぐって、柔らかな素肌に手のひらを滑らす。
「あん! 待って」
ぴくっと肢体を震わせて、それでもアリオスの腕に手をかけ遮ろ
うとするから。
「ったく。言ったそばから『待って』かよ?」
アリオスは苦笑いすると、きっついキスを仕掛けることでアン
ジェリークの抵抗を封じ、『今夜』を始めだした。
乱れた栗色の髪をゆっくり梳き融かす。
微かに睫毛が震えるものの、アンジェリークの眠りは深いようで
起きる気配はない。それをよいことに、頬に髪に唇にと、気紛れに
指を辿らせる。
――ちょっとだけ、許してくれよ。
後ろめたさを感じつつ、でも言えば笑って許してくれるであろう
アンジェリークに甘えて。
――同じセリフを言うんだもんな…。
誕生日を祝われた記憶は無い。だけど、たった一度だけ、
『もうすぐ誕生日ね』
と嬉しそうな笑顔を向けられたことが、かつて、あった。
密かに期待した。『彼女』からの祝いの言葉。
しかし、その日に伝えられたのは彼女の死――。
いつもは胸の奥に仕舞われている、悲しいけれど大切な思い出。
そうして、それがあるから今があると思えるから。
――なあ、アンジェ。お前は祝ってくれるよな?
密かにではなく堂々と。
アンジェリークからの祝いの言葉を期待する自分がいる。
アリオスは目を和らげ、深い笑みをアンジェリークに向けると、
つと額にキスを落とす。
そうして愛しい恋人(ひと)を抱き寄せ目を閉じた。
数日後。
今夜はアンジェリークが夕食の仕度にキッチンに立ち、アリオス
は辺りを片づけていた。
「そういえば、お誕生日の夕食、なにかリクエストある?」
と、今日の夕食の仕度で思いついて、アンジェリークが尋ねた。
「あ、ちゃんと食べれるもの、お食事になるもの、私も一緒に食べ
るものの事だからね」
「ほー、お前も中々言うようになったじゃねぇか。ちっとは学習能
力が出来てきたってことか?」
「もうっ! アリオスっ」
「ハハッ。お前ってマジで面白い」
多少は先回りして言うことは出来ても、ちょっとしたからかいに
反応するところは相変わらずで。
楽しくなって、アリオスはキッチンを回って、アンジェリークの
隣に立つ。手伝う振りして、アンジェリークの肩や腕を触るチャンス
を狙ったりする。
と。
「ん…?アンジェ、お前、手、どうかしたのか?」
「…え?」
「手というか指。なんか赤くなってるぜ」
アンジェリークの手を取り、目の前でじっくり見てみる。
人さし指の横側とか親指の根元など。
擦れて薄赤くなった痕がある。
「え……、あっ!」
慌てて手をひっこめようとしたアンジェリークに、それを許さず
引き寄せる。
こういう慌て方する時は、何かを隠している時だ。
「なんだ、怪しいぞ?」
「べ、別に怪しくなんかないわよ」
「俺は、こんなところに痕をつけた憶えはねぇぞ」
「なっ! そ、そんなんじゃないわよ」
「それじゃ、なんだよ」
さっさと言わねぇとお仕置きするぞ、とばかりに小さな身体を抱
きしめる。
「ア、アリオス〜〜。夕食の準備が出来ないよぉ」
じたばたするアンジェリークを軽く抑え、赤くなった痕を指でな
ぞる。
「なんかこの痕、紐の痕みたいだな」
「!!」
ぎくっと、顔に『大正解』と書いてある。
「だ、だからっ、そのっ、そ、そう、書類整理」
「あ?」
「書類整理してたの。もうすぐ今年も終わりだし。書類の束とか紐
でまとめてたの」
「ほー…」
「……………」
「本当か?」
「う、うん!」
でかでかと、『大嘘』と顔に書いてある。
だけど、まあ、その顔は、仔犬がおもちゃを隠して、見つからな
いようにとドキドキしながらシッポ振っているような、そんな表情
だったから。
――ま、いいか…。
と、思ってやることにした。
「…わかった。大変だったんだな」
「あ…う、ううん。そんなことは無いよ」
納得してくれたアリオスに、ほっとしたのか、アンジェリークが
緊張を解く。
――フッ…。相変わらず甘いぜ。
「赤くなってるしな。俺が舐めて直してやるよ」
「えっ!? ア、アリオス、だめっ!! ご、ご飯がっ!!」
クツクツと笑いながら、アリオスは容赦なくアンジェリークの指
を舐め取り始める。
――ま、今日はこれぐらいで許してやるよ。
口を割らせるのなら、他の手段もあることだし。
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