庭園の彼

1



「アンジェ〜。陛下からOK出たよ〜。今日の昼過ぎにいらっしゃ
いって」
 執務室にレイチェルが顔を覗かせ、指を立てて合図した。

 双方の女王が、書類にサインし合うような仕事が持ち上がって、
それでレイチェルが、向こうの女王の都合を問い合わせてくれてい
たのだ。
 
 アンジェリークは、机から顔をあげて、ニコッと笑う。
「ホント? それなら早速行ってくるわ。1、2時間で戻って来る
から」
 仕事自体は、そう時間がかかるものでもないから…とアンジェ
リークが考えていると、レイチェルは菫の瞳を見開いて、手をヒラ
ヒラさせる。
「あら〜、そんなに急がなくてもいいわよ。カフェテリアにでも
行って、二人でお茶ぐらいしてきなさいよ」
 アンジェリークの護衛にはアリオスがつく。それがもっとも『安
全』かつ『効率』がいいので。
「え…で、でも…」
 お仕事で行くのに、そんなデートもどきなことなど…とアンジェ
リークが小さく首を振ったが、レイチェルは悪戯な光をその瞳に宿
し、長い指を唇に当てて言った。
「ふふふ。久々に『庭園の彼』にも会えるしね」
 
「ええっ!? レ、レイチェル…て、庭園の彼って!」
「ふふ〜ん。間違いじゃないでしょ。アナタ、いっつも彼に会いに
行っていたじゃない」
「そ、それは、どうしてあそこに居るのか気になっちゃったから…。
いつも一人であそこにいたし…」
「で、毎日、手紙をあげていたんだ」
「えええっ!? ど、どうして知ってるの!?」
「よく彼にもたれて昼寝もしてたしね〜」
「だ、だって、すっごく気持ちよかったから…」
「うふふ。大丈夫。アリオスには言わないから」
「な、なにも、そ、そ、そんな…別に…」
「だって、彼がアナタの『初恋の君』だなんて知ったら、アリオス、
絶望しちゃうよ?」
「は、初恋って、って、レ、レイチェル!?」

 すべからく、聞いちゃいけないコトを当の本人が聞いてしまうこ
とは多々あることで。
 会話の交わされた執務室の前の廊下で、アリオスが全てを聞いて
しまっていた。
 ――……………。
 別に、今のアンジェリークの気持ちを疑う気はない。
 自分と会う以前の事まで、妬く気もない。
 気はないが……。
 
 『庭園の彼』『毎日手紙』『一緒に昼寝』
 
 極めつけに『初恋の君』ときたからには、アリオスの眉間に深い
縦じわが刻まれたのも致し方なかった。
 ――んなこと、聞いたことねぇぞ…。
 アンジェリークのあの焦りようと、そのくせ否定はしない様にレ
イチェルの言葉が真実と分かる。
 アリオスの知る、あの旅の仲間たちではない、全く知らない『庭
園の彼』――。
 

 一度、廊下の角まで引き返し、それから戻って、執務室のドアを
コンッと叩くと、
「あ、アリオス。いいところに来てくれたわ」
 屈託なくレイチェルが笑いかける。
「今からアンジェがあっちの宇宙に行くから、護衛として一緒に
行ってもらえる?」
「……分かった」
 アリオスは短く答えると
「それじゃ、いくぞ」
 とアンジェリークを促し執務室を出ていった。

*****



 次元回廊をくぐると、
「お二人ともお久しぶりですね」
 と、エルンストが出迎えてくれた。
「連絡は受けております。女王陛下がお待ちですよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 外に出ると、こちらもとてもよい天気であった。
 
 宮殿の扉をくぐったところで
「それじゃ、俺はここでな」
 とアリオスが言うと、アンジェリークは物問いたげな瞳を向けた。

「今日は俺はお前の護衛だからな。ここで待ってるよ」
「…分かったわ。そんなに時間はかからないから」
 そう言って去るアンジェリークの後ろ姿を見守って、一つ溜息を
ついてアリオスは案内されて控の間に行った。
 
 テーブルの上には、お茶と焼き菓子が出ているが、アリオスは手
をつけることもなく、腕組みをして考えていた。
 ここまで来たからには、その庭園の彼とやらを確かめたい。いっ
そこのまま庭園の方へ行ってみるかとも思ったが、一体誰がその男
か分からない。
 ――あの時に庭園ごと破壊しておけばよかったか?
 などと、物騒なことを考えた時、パタパタッと窓から青い鳥が
入ってきた。
 その小さな青い鳥はテーブルの上に降り立つと、小首を傾げて、
手をつけずに置かれたお菓子をついばみ始めた。
 ――ん? この鳥、見たことあるような…。
 と
「あれ? アリオスじゃない」
 窓の外から、緑の守護聖マルセルの明るい声が聞こえてきた。
 
「あ…やっぱりこの鳥、お前の鳥だったんだな」
「チュピだよ。急にこっちに飛んでくるからどうしたのかな、って
思ったんだけど、アリオスが来てたんだね」
 マルセルはにっこり笑って
「アンジェリークも来てるの?」
「今日はあいつの護衛で来ている」
「ふーん…」
 チュピは目一杯お菓子を啄ばむと、パサッとアリオスの肩に止
まってツンツンその銀の髪を引っ張り始めた。
「おい。俺の髪はメシじゃねぇぞ」
「お菓子をありがとうって言っているんだよ」
 アリオスが窓際によると、チュピはもう一度ツンッと髪を引っ
張って、パタパタとマルセルの肩に止まり直す。
「しばらくこっちにいるの?」
「いや、今日はほんのちょっとした仕事らしいから、すぐに戻るん
じゃねぇのかな」
「ふーん…それは残念だな」
 と、
「アリオス、お待たせ…あら、マルセル様!」
 アンジェリークの声がした。
「やあ、アンジェリーク。こんにちは」
「こんにちは、マルセル様」
 アンジェリークも窓の側に寄って来て、それはにこやかな笑顔に
なる。 
「すぐに戻るんだってね、アンジェリーク」
「ええ。陛下とサインしあう書類が出来たから、ちょっとこちらに
来させてもらっただけですから」
 アンジェリークの答えに、マルセルはニコッと笑う。
「でも、こんなにいい天気なんだから、せめて庭園ぐらいには寄っ
て行ったら? …久しぶりなんでしょ?」
 マルセルは庭園の方を見てから、意味あり気にアンジェリークに
笑いかける。
「…そう……ですね」
 と、そこでアンジェリークはちらっとアリオスを振り仰ぐ。
「……そうだな」
 答えたアリオスには含みがあった。もちろん鈍感大魔王のアン
ジェリークが気づく筈はなかったが――。
「残念だけど、邪魔しちゃ悪いから、僕はここで失礼するね。また
ね」
 そう言うとマルセルは手を振って窓際から離れて去っていった。
 
「ん〜〜〜っと…」
 アンジェリークはちょっと考え込んでいたが
「アリオス。庭園に寄っていっていい?」
「別に…構わねぇぜ」
「えへっ。ありがとう」
 そう言って微笑んだ後、独り言のように、やっぱり会いたいもの
ね…、と呟いたのを、アリオスは聞き逃さなかった。
 ――是非とも会わせてもらうぜ。その『庭園の彼』とやらに…。
 アリオスの瞳は絶対零度を越えていた。
 



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