生地は暖かい黄色。軽く動きのある布地。紫の宝石のついた
ティアラ。細い首元を飾るリボンは若草色。同色の肘まである手袋。
ふわふわっとした銀の羽毛の飾り。水色のレース。
間違いなく、この若き宇宙の女王陛下がそこにいた。
「ん〜〜っと、ダメだね、アンジェリーク」
オリヴィエが溜息交じりに首を傾げる。
「そ、そうですか?」
アンジェリークが戸惑い顔で、オリヴィエを見上げる。
思い出深いこの正装。これを着たのは就任式の時以来で。それ
から一度も袖を通すことは無かった。
「うん。もうちょっと大人っぽくしたほうがいいよ」
オリヴィエは、もう一度アンジェリークの全身を見つめてそう
言った。
このドレスを着たアンジェリーク。今でも昨日のことのように
はっきりと覚えている。
若々しい生気に溢れた、可愛い女王の誕生だった。
今だって、若々しく生気に溢れているのは同じだけど、アン
ジェリークは『可愛い少女』から『可憐な女性』へと変貌を遂げ
ていた。
――まぁ〜ったく、一体誰のせいやら…。
オリヴィエは、部屋の隅で腕を組んでこちらを見ているその
『張本人』へ、ちらっと視線をくれた。
アリオスは先ほどから黙って見つめているだけだった。
初めて目にする女王アンジェリークの正装。
薄い黄色がアンジェリークの栗色の髪に映えて、優しく美しい。
幾重にも布地が重なった、裾の長いドレス姿。
紛れもなく、それはアリオスのアンジェリークではなく、この
宇宙の女王陛下。
冷静は装っていても、とても穏やかでは居れなかった。
アルカディアの大陸から移住してきた住民達が、宇宙の女王へ
の感謝を込めた祭りを開くこととなった。この宇宙で初めて開か
れる住民の祭り。感激したアンジェリークは、お礼にその日、レ
イチェルとともにこの宇宙への祈りを捧げることとなった。
つまりはここでの創めての儀式。
二人して正装をすることとなり、それを聞きつけたオリヴィエ
が夢の守護聖としてではなく、デザイナーとして二人のドレスの
見立てにやって来たのだった。
「でも、オリヴィエ様。このドレス、一度しか袖を通していない
んですよ。新調するなんてもったいなくないですか?」
布地の幾つかを肩に広げてるオリヴィエに、アンジェリークが
少し心配顔で尋ねる。
「あはは。あんたってば、そんなことを考えてたの?」
クスクス笑いながら、オリヴィエの指が布をたぐる。流れるよ
うなその指から、綺麗に襞が織り出されて、アンジェリークの華
奢な身体を彩る。
「ほら、これだけでも違うでしょ?」
示されるまま鏡を覗くと、肩からレースをつけただけだったが、
随分雰囲気が違う。
「それとやっぱり髪かな〜。ちょっとごめんよ」
後半の『ごめんよ』は、実は後ろの男に向けて。
アンジェリークの艶やかな髪を耳の前の部分だけ垂らして、
アップにして止める。
「こっちの方がいいでしょ?」
と、クルッとアンジェリークを回して、アリオスに向けた。
「!……」
金と緑の瞳が見開かれ、息を詰める。
「どう…かな?」
小首を傾げたアンジェリークに促され、
「…ま、いいんじゃねぇのか」
と、何とか言葉は紡いだが、後は黙り込んだ。
単に髪をアップにしただけなのに、ポニーテールにしたアン
ジェリークは何度か見たのに、その衣装に包まれて、髪をあげた
アンジェリークは、あまりに美しい『女王』であった。
「…………」
アンジェリークが美しく装うのを見るのは嫌ではない。
第一、趣味悪く、派手に飾り立てる訳じゃない。流石にオリ
ヴィエで、アンジェリークの可憐さ、可愛さ、内に秘めた気高さ
をよく引きだして、とても綺麗だった。
なのに…綺麗だと思うのに、それが声にならず、胸の奥に言葉
が詰まる。
最初から分かっていたはずなのに、こうも『女王』であるアン
ジェリークを見せつけられるのは、かなり堪える自分を再確認し
ていた。
――アリオス…機嫌悪い……。
口の悪いアリオスだけど、案外そういうところで言葉は惜しま
ない。アンジェリークが新しい服や髪形を試すと、必ず気付いて
何かを言ってくれる。『馬子にも衣装』とか、からかいながらも、
ちゃんと可愛いとか似合っているとか言ってくれる。
なのに今は素っ気無く「いいんじゃねぇのか」の一言だけ。
「…似合わない、かな?」
「いや、そんなことはねぇ」
アリオスは首を振ると、
「…そうだな、ついでにその頭の綿毛も除けたらどうだ? ガラ
ス玉か、いっそ花ででも飾ったほうがいいと思うぞ」
「おや、アリオス、鋭いじゃない」
オリヴィエが頷き、ティアラから羽毛飾りを取り去ってしまう。
すると、アンジェリークの艶やかな栗色の髪が現れ、すっきりと
した。オリヴィエは、手持ちの小さな宝石をあしらった髪飾りと、
花瓶に生けてあった花を交互にアンジェリークの髪にかざして、
首を傾げる。
「花の方がいいね〜。小さくって白い花。当日、摘んだばかりの
花で飾るといいよ」
どう? と振り返って同意を求められ
「…ああ、そう思う」
と頷くと、そこでオリヴィエの満面の笑み。
「ということで、アリオス、あんたが用意しなさいよ」
「えっ? 俺が?」
「言い出したのはあんたでしょ。責任取りなさいよ」
「なんだって俺がそんなもんを…」
『女王アンジェリーク』の装いの為に、なんで自分が動かなけ
ればならないんだ、と、渋面を作ったアリオスに、アンジェリー
クが慌てて
「あっ、いいの。アリオス。誰かに摘んできてもらうから…」
健気なのはいいが、語尾が消えかけている。
「…………」
珍しく、オリヴィエが『この馬鹿!』と、きつい目線で睨む。
オリヴィエの睨みは怖くないが、アンジェリークの誤解は大いに
怖いので
「分かった。それぐらいやってやるよ」
と言わざるを得なかった。
「レイチェルはどうしたんだろうね、ちょっと見てくるよ」
オリヴィエがそう言うとスタスタと部屋を横切り扉へと歩む。
ちょっとだけアリオスに視線をくれて、ニッと笑った。
――…………。
見透かされているのは癪だけど、ここはありがたく気持ちを受
け取り、立ち上がってアンジェリークの隣に立った。
「…おかしいかな?」
「んなことないって」
「…だって………」
「だって?」
「アリオス、何にも言ってくれないもの…」
ちらっと向けた青緑の瞳は、少し拗ねた色。アリオスだけが見
る瞳。
「…クッ」
するっと腕に囲い込む。いつもより布に包まれた細い身体を引
き寄せて、そのまま唇を重ねた。
「!」
アリオスの早業に、拒否する暇なく唇を奪われたアンジェリー
クが目を丸くする。
「これが答えだぜ」
「も、もうっ。アリオスったら」
「ま、これは俺だけの特権だからな」
そう言うと、もう一度ゆっくり唇を落した。
ようやくアリオスの機嫌が直ったようで、安堵したアンジェ
リーク。頬を染めながらも、いつもの笑顔をアリオスに向ける。
「でも…やっぱり正装まで作り直すのは大げさかな?」
「ん? んなことはねぇんじゃないのか。街の奴等、喜んでいた
ぜ」
「そうなの?」
と、そこで嬉しげに目を細める。
「ああ…。それに、お前がこういう儀式っぽいことするのは、悪
いことじゃねぇと思うぜ」
堅苦しいことは極端に嫌がるアリオスの口から、こんな言葉が
出てアンジェリークは驚き目を見張る。そんなアンジェリークの
気持ちを分かったのか、アリオスはふっと目を和らげた。
「俺も、なんだかんだと言って、よく引っ張り出されてた」
「あ…そうよね。私なんかより、ずっと小さいころから宮廷行事
とかに出ていたんでしょう?」
「ああ…。あの頃は歓迎されても、どうせ俺を歓迎してんじゃな
くって、皇族だったら誰でもいいんだろ、って思ったが、ま、そ
ういう側面もあるけど、それだけじゃねぇって、今は思うぜ」
「うん…」
「人間ってのは、どこかに頼るところを求めるものだからな。俺
に、適当な『宇宙を統べる皇帝一族』の偶像を思い描いていただ
けなのかもしれない。けど…お守りみてぇなモンでも、心の拠り
所だったのは確かだったと思うぜ」
「そうね…。私も週に一度の礼拝の時間だけは、女王陛下の事を
想って祈りを捧げていたわ…。ほんのひとときだけど、あの礼拝
堂での時間だけは、とっても真摯な気持ちにさせてもらっていた
わ」
礼拝堂――。そんな言葉も、もう拘ることなく思い出で。
「そうだな…。勝手に祈られるお前は妙な気分かもしんねぇけど、
ま、それも女王の仕事の一つと思って祈られていろよ」
「んもうっ! アリオスったら」
メッと、上目遣いに小さく睨んで。でも、乱暴な言い草だけど、
アリオスの言葉で心が軽くなったのも事実で。
「ふふっ。ありがとう、アリオス」
やっぱり笑みを浮かべてしまう。
「………けどな、アンジェ」
アリオスがアンジェリークの顔を覗き込む。
「俺としちゃ、面白くねぇのも事実だぜ。お前が俺以外の奴の為
に綺麗に着飾るってんだから」
そこで、アリオスの腕にじわりと力がこもる。
「えっ!? ちょ、ちょっと。アリオス!?」
その力の込め具合も、声色も、なによりその瞳の色に、アン
ジェリークだけが知る、危険な香りが漂いはじめる。
布越しにも分かるほど身体を強ばらせ、真っ赤になって身を捩
るアンジェリークは、例え女王の正装をしようとも、間違いなく
アリオスだけのアンジェリークで――。
「…クッ。んなに暴れんなよ。綺麗な自分の女にキスしたくなる
のは、男として当然だろ?」
上機嫌に一つ笑みを漏らすと、遠慮なくその唇を塞いだ。
「んっーーっ!」
じたばたと、跳ねる身体を軽々と押さえ、白昼のキスにしては
濃厚なそれをじっくりと味わう。
人気が近づく気配に、ようやく腕を緩めて、
「…続きは夜にな」
と、真っ赤になった耳朶に囁いた。
「わーー。アンジェ。きれい!!」
感歎の声をあげたレイチェルだが、彼女の方こそ、青系でまと
めた衣装が、褐色の肌にも、黄金の髪にも映えて美しい。
「ほー、レイチェル。似合うじゃねぇか。綺麗だぜ」
拘りが無い分、素直に誉めて。
「えへっ。ありがと。アンジェも綺麗でしょ? ちゃんと言っ
た?」
そこでニヤッと不敵な笑み。
「ああ、もちろん」
――言葉以外でな。
アンジェリークとレイチェル、二人並んで立たせて眺め、
「う〜ん、レイチェルの方もデザイン変えたほうがいいね」
とオリヴィエが首を傾げる。
「ほーんっとに、アンタ達、綺麗になっちゃって」
つい、いつまでもあの初々しい姿を思い浮かべてしまうけど、
もうアンジェリークとレイチェルは、立派な宇宙の女王と補佐官
へと成長していた。
「レイチェル、あんた、背が伸びた?」
「えー、どうでしょうか?」
二人は、ゆっくりだったが、身体の成長は止めていない。
「うん。ちょっとサイズを計り直したほうがいいよ」
オリヴィエはメジャーを持って、すいっとレイチェルの肩幅、
バスト、ウエスト…と計り、やっぱりだね、と呟いている。
その辺りで、アリオスは遠慮して、部屋を後にしようとした。
「あ…ちょっと、アリオス」
そこでオリヴィエがちょっと声を潜め。
「その顔で出歩くのは、ちょっとマズイよ」
オリヴィエは、からかうつもりで言ったのだが、それに火を吹
きださんばかりに真っ赤になったのは、アンジェリーク一人だけ
だった――。
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