雨が降る。
霧を纏った夜の闇、細い糸のような雨が降る。
まるで――涙のように。
旧き城跡の惑星の、深林の村。
一同はここに戻って来た。
瓦礫に戻った虚空の城を前に
「アリオス!!」
と、叫び、気を失ったアンジェリークを休ませる為に。
村外れの一軒の家。その寝室で、アンジェリークは静かに
眠っている。その傍らに、夢の守護聖オリヴィエが居た。
――…………。
アンジェリークのあの悲鳴が、耳に突き刺さったままだ。
あんな悲痛な『声』を、オリヴィエは聴いたことがない。
今は目を閉じ、微かに胸を上下して眠っているアンジェリークの
顔を覗き込む。
――アンジェリーク…。
――今、どんな夢を見てる? 楽しい夢? それとも哀しい夢?
例えどんな夢でもいい。夢を見れるくらいなら…。
と、その紅い小さな唇が微かに動いた。声は漏れないまでも、
何を――誰を呼んだのか、唇の形が示していた。
「…ばか」
思わず溢れる呟き。今は亡き男に向って。
――アンタ、ばかだよ。どうするんだよ。このコの心だけ
持って行っちゃって…。
彼がアンジェリークを深く愛していることは分かっていた。
誰よりも強く、誰よりも優しく護り――そうして誰よりも
傷つけて消えた――。
同じ男として、彼の選択が、アンジェリークを愛するが故の、
ぎりぎりの選択であったことは理解できる。
だけど――。
――いっそ…。
守護聖にあるまじき考えが胸に浮び、急いで言葉にするのを
押さえ込む。
だけど――。
カタン。
小さく音がして振り返ると、闇の守護聖クラヴィスの姿。
「………アンタも来たんだ」
オリヴィエの問い掛けに、クラヴィスは目だけで頷いて
「…これくらいしかできぬ」
と呟き、寝台の側の椅子に座る。入れ違うように、オリヴィエは
立ち上がって、窓の外を見た。
さっきまで真っ暗だった村に、ポツリ、ポツリと灯がつく。
人が戻ってきているのだ。魔導の力が消滅して。
それは、本当に彼が消えた証。
「…………馬鹿なやつだ…」
クラヴィスが低く呟く。
オリヴィエが目を向けると、クラヴィスの夜の瞳が向けられて
いる。
「気がつかなかったか? 崩れ落ちる城が、あの男の最後の
魔導だった」
「え?」
「あの城は元々廃虚の城だ」
「あ…」
廃虚の城を元に、彼の力で城の幻影を築いていた。彼がいなく
なれば、一瞬にして消えて無くなるはずの幻。
しかし城はまるで地震で崩れるように、壁がひび割れ、天井が
落ちてきて…そうして皆は逃げた――。
「!…」
あまりに切なく悲しい彼の想いが胸に迫る。
そこまでして、彼は少女を守りたかった。
――馬鹿! それなら、なんでさらってしまわなかったのさ!
とうとう耐えられず、押さえ込んだ言葉を心に浮かべる。
その方がまだ救われる。
明日の、アンジェリークの嘆きを見るくらいなら――。
小さな灯に照らされて、雨の軌跡が銀に輝く。
まるで彼の髪のような、細い細い銀の雨。
部屋の中に、ランプの揺らぎと、少女の寝息だけがあった。
カチャリ。
と、再びドアの開く音。今度は誰かと振り返る。
「陛下…」
そこには、鮮やかに輝く金の髪と深い緑の瞳の女王陛下が、
立っていた。
二人、同時に椅子から立ち上がる。
「…陛下……」
言いかけたオリヴィエに、女王は頷いて
「分かっているわ」
と小さく言った。
「貴方達も疲れているでしょう?
ここは私に任せて、もう休んで」
「…陛下は大丈夫?」
「ええ…。私はもう大丈夫」
その言葉の意味。語らずとも露になる。――全てが終わったのだ
ということが。
女王はもう一度頷いて
「ね、せめて私に看させて。アンジェリークを」
と言った。
――アンジェリーク…。
リモージュは、同じ名前の少女に心のうちで呼びかける。
――私は…。
何故あの時、彼女に助けを求めたのだろう。
それまで、どうしているかと懐かしく思いはしても、日々の
中にしまい込んでしまっていたのに…。
あの叩きつけるような雷雨の向こうから、背筋が凍る思念を
感じたその時に、鮮やかに脳裏に浮かび上がった、少女の笑顔。
唯一の救いと閃いた。
だけど――。
本当に救われたのは…。
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