その日、久しぶりに訪れてくれたセティと共に、ティニーはフリージの街に出かけた。
春の終わり、初夏を思わせる陽気。
綺麗に整備された石畳の往来を、ゆっくり歩く。
街の家々は出窓には花が飾られ、扉の前に鉢が置かれている。
セティはふとフリージの城の前庭の花壇を思い出して微笑んだ。
「セティ様、なにかおかしいことでもあるの?」
ティニーが見上げて不思議そうに尋ねる。
「いや、なんでもないよ」
「あっ、酷いわ。隠し事なんて」
ティニーが軽くにらむ。
「そんなんじゃないさ」
「それじゃあ、ちゃんと教えて下さい」
そんなごく普通の恋人のような、他愛もないやり取りを二人は心から楽しんでいた。
「あら、ティニー様、お一人ですか?」
声をかけられ振り向くと、この街の町長夫人が立っていた。
彼女は、珍しくティニーの周囲にお付きの人がいないのに驚いて、思わず声をかけたのだった。
だがすぐに、ティニーの後ろにそっと寄り添う若い男に気づく。
「えっと…その方は…」
彼女の戸惑いに、ティニーが少し頬を染め、含羞んだ笑顔を浮かべつつ言った。
「あの…夫のセティです」
そうして男に、この街の町長さんの奥様なの、と小さく伝える。
男は頷き
「セティです。どうぞよろしく」
と、柔らかい笑顔を向けた。
さっと爽やかな風が吹いた。
フリージ公爵ティニーが結婚していること、その相手がシレジア国王のセティであることは、フリージでは正式に公にされておらず、
かといって秘密にもされていない事柄だった。
が、この春先にティニーが『セリスの名代』という名目でシレジアを訪問してからは、ごく自然にフリージの領民にも知れ渡ってきていた。
ティニーの夫が『シレジア国王』ということは、肯定的に捉えるものも居たが、また逆に「やがてフリージがシレジアに乗っ取られ
るのでは?」と疑うものも居る。
実はこの街の町長もそういう一人で、だからその夫人である彼女も、未だ見ぬティニーの夫・シレジア国王に不審を抱いていた。
だけど、今、目の前にいる青年は、まるで普通の若者で、親しげに彼女に笑いかけるのだった。
「あっ、あの…こんにちは。今日はティニー様とおでかけですか?」
彼の笑顔につられて、ごく普通の挨拶が口から出てきて、彼女自身、
自分に戸惑ったが、セティはその緑の瞳を細めて微笑み、
「ええ、久しぶりに時間がとれたので、ティニーに街を案内しても
らっているんです」
と、そっとティニーの肩を抱き寄せる。
ティニーも恥ずかしそうに頬を染めながらも、嬉しそうにセティ
に身を寄せて見上げる。
あまりに幸せそうな二人に、彼女はしばし見とれてしまった。
「あっ、でも、ティニー様。今日は日差しがきついようですよ。
そのままでは、のぼせてしまわれるのでは?」
「えっ? あら…そうかしら」
「うちはすぐそこですから、お帽子、お貸しいたしましょう。
せっかくお二人でおでかけなんですから、ご気分が悪くなったりしては
大変ですわ」
ティニーが、どうしましょう、と目で尋ね、セティが、お借りし
たらいいよ、と頷く。
「それじゃ、お借りしますわ。ごめんなさい。ありがとう」
ティニーが嬉しそうに首を傾げて笑いかけた。
家にお上がり下さい、という彼女の誘いに、ティニーは首を振って
「突然ですもの。ご迷惑だわ。お庭で待たせて頂きます」
と丁寧に断った。
急いで、一番上等の帽子を出してきて、ティニーに渡すと、
「本当にありがとうございます。明日、お返しに参ります」
とティニー微笑み、セティも
「ご好意に甘えます。ありがとうございます」
と頭を下げた。
二人は振り返りおじぎをして去りかけたが、庭の門の辺りで
ふと立ち止まった。
セティがまがっているよ、とでも言っているのか、ティニーの
あごに手をやり帽子のリボンを結び直す。
そうしてもう一度振り返り、丁寧に会釈をして街角に消えていった。
ほう〜、というため息が彼女の口から出る。
そうして、二、三度頭を振って、家の仕事をする為に、きびすを
返した。
その口元には、穏やかな笑みを浮かべていた――。
フリージ。
東にバーハラ、西にアグスティの分岐点であるこの地は、ミレトス
等から運ばれる商品の分岐点でもあり、また、代々グランベル宰相
の家が統治する地でもある、賑わいのある華やかな街であった。
一度は死に絶えたような街になったが、世の中が落ち着きつつある今、
かつての賑わいを取り戻そうとしていた。
二人で市場に赴くと、セティは物珍しそうに目を輝かせた。
「随分賑わいのある市場だね」
「えっ、そうですか?」
「うん、商品の数や種類といい、集まっている人の数といい、
シレジアより、随分多いね」
そう言ってセティはあちこちの店に立ち寄り、品物の出所を聞い
たり、値段を尋ねたりしている。
セティの背を追いながら、ティニーは心の中で微笑んでいた。
――変っておられないわ…。
自国と他国を比べ、他国の方が栄えていると言ってしまう率直さ。
慎重で冷静だけど、好奇心旺盛で、結構唐突に行動してしまう
ところとか。
マンスターで勇者と称えられた彼の意外な素顔に、強く魅かれて、
そうして恋した。
ほんの一年前の、甘酸っぱい想い出が蘇る。
心の笑みが口元に移り、ティニーは微笑みながら、少し広くなった
セティの背を目を細めて眺めた。
「やぁ、そこの緑の髪のおにいさん、どうです? 可愛い彼女に
プレゼントは?」
突然、そう声をかけられセティは立ち止まった。辺りを見回しても
『緑の髪』の男は見当たらず、どうやら自分に声をかけられたと
思い当たる。
「そう、あんただよ。おにいさん」
セティと大して年が変らないと見える男が、小さな宝石や細工物
のアクセサリーを並べる店から手を振っている。つられてセティは
その店の前に足を運んだ。
「どうです? なかなかいい品でしょう?」
店の男が腰に手をやり胸を張る。セティにそういったものの善し
悪しは分からなかったけど、綺麗だな、と思った。
後ろのティニーを振り返る。
唐突に、セティは、ティニーに今までこういった物は、何も贈っ
ていないことに気が付いた。
「ティニー、なにか買おうか?」
「えっ?」
ティニーが驚き、大きく目を見開く。
「いや、今までティニーに、こういった物は何もプレゼントした
ことなかったな、って思ってね」
「そんなこと…」
ティニーは、今まで考えたこともなかったので、嬉しさよりも
戸惑いの方が大きくて答えようがない。
セティが買う気になったのを見て取り、店の男はこの時ばかりと
愛想よく声をあげる。
「おや、ホントに可愛い彼女だなぁ。おにいさん、やるなぁ。
どうです、こんなの? とっておきの品ですよ」
それは銀の細かい細工のチェーンの先に、光の加減によっては
薄紫にも見える濃い赤の、小振りだが品のいい宝石のついた
ペンダントだった。
「あっ、ペンダントはいいんだ」
セティのその言葉に、ティニーは、はっと顔を上げた。
だって、二つつけるわけにはいかないだろう、とセティが穏やか
に言うから…。
「ううん、セティ様。私、これが欲しいわ」
「えっ!?」
セティが驚いて言葉を失っている間に、さっと、ティニーは首の
後ろに手をやって、母の形見のペンダントを外す。そうして商人から
ペンダントを受け取りそれを付け替えた。
どうかしら、と小首を傾げて微笑むティニーの首元に、紅い石が
きらりと輝く。
「おっ、似合っているねぇ。まるで彼女のためにあつらえたよう
じゃないか」
店の男はお愛想だけでない、真実感心した声をあげた。
「まあ、ありがとう。嬉しいわ」
ティニーは自分の胸元に光る新しいペンダントに手をやり、確か
めるように覗き込んだ。
セティは、何がなんだか分からないまま、急いで金を払い、店を
後にする。
セティの狼狽えをよそに、ティニーが本当に嬉しそうに
「セティ様、ありがとう。大切にしますね」
極上の笑顔を向けたものだから、セティはもっと面食らってし
まった。
「ティ、ティニー。母上のペンダントはどうするの?」
「あら、もちろん大切にしますわ。だって母様の形見だもの。
でも、セティ様から頂いたのも、こうやってつけてみたいの」
ティニーがふわりとセティに笑いかけた。
「ティニー…」
胸が詰まる。
どうしてティニーは、こんな風に、辛いこと、悲しいことを、
セティの知らないうちに鮮やかに乗り越えていけるのだろう。
セティはそっとティニーをその腕の中に抱き寄せる。恋人が遠く
に行ってしまいそうだから…。
「セ、セティ様?」
往来の中で抱き寄せられて、驚き戸惑うティニーの耳に、セティの、
優しく、穏やかで、そして真実の声が響いた。
「好きだよ、ティニー」
<Fin>
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