朝陽に目覚めて、アリオスは隣に眠る恋人に目を移した。
昨日の余韻を残した肌を、もっと濃く染めたいと引き寄せる。
と、
「ん…」
伏せたまぶたが揺れると、青緑の色が現れた。
「アリオス…おはよう」
まだ半分眠りの中に居ながら、朝の挨拶を口にするアンジェリー
クに
「ああ、おはよう」
とアリオスも返す。
「え…あれ??」
すぐさま身を乗り出して覆い被さったアリオスの行動に、まだ
思考がついていかず、首を傾げるアンジェリーク。
「…クッ」
という彼の忍び笑いは、もうアンジェリークの白い肌の上。
「も、もう……」
既に『始まっていた』ことをようやく悟り、アンジェリークは
困ったような照れたような視線を暫し空中に泳がせたが、するっと
細い腕を男の背中に回した。
「ね、アリオス?」
「…なんだ?」
少女の同意に気をよくして、笑い混じりに彼は答える。
「後でね、ピクニック行かない?」
「ピクニック?」
意外な言葉に動きを止めて、アンジェリークの顔を覗き込む。
「天気、よさそうだし、せっかくだし…」
カーテンのすき間から差し込む朝日に目を向け、駄目? と首を
傾げおねだりするこの顔に逆らう術は持っていない。
「…クッ。いいぜ、後で、な」
彼の答えにアンジェリークはそれは嬉しそうに笑って、降りてく
る熱い唇を受け止めた。
心積もりをしてたのか、手際よくサンドイッチやサラダ、からあげ
などができ上がる。
「あんまり凝ったことしなくていいぞ」
出来上がったそれらをバスケットに詰めながら、アリオスが言うと
「うん。ちゃんと手抜きしてる〜」
アンジェリークが答える。
「ここのリンゴ、持っていくぞ?」
「あっ、うん、お願い」
ピーッ、と、沸騰音をさせたケトルの火を止め、魔法瓶に入れると
「はい、出来た!」
と、魔法瓶をカウンターに並べた。
「? おい、なんで魔法瓶が3つなんだ?」
小振りだけど3つ並んだ魔法瓶。
2つは分かる。コーヒーと紅茶。だけど3つ目が分からない。
「うふふっ。それは後でのお楽しみ」
そっと人さし指を唇に置き、アンジェリークは楽しそうに含み笑いを
浮かべた。
二人が出向いたのは、聖地の奥にある野原。小さな小川も近くに
流れている。
あの大きな樹は無いけど、どこかアルカディアの約束の地にも似た、
この広い広い野原が二人のお気に入りの場所だった。
シートを広げてさっそくバスケットを開ける。
朝の運動の後、準備の合間のつまみ食いだけで済ませた為、二人
とも空腹だった。
3つ目の魔法瓶の謎がここで解けた。
「はい、アリオス」
差し出された湯気の立つポタージュスープにアリオスは目を見張る。
「これ、入れてたのか?」
「うん。やっぱりあったかいスープが欲しいなって思って」
小振りとは言え、魔法瓶3つぶら下げてくるのは結構大変だった
ろうに、にこにこ笑って持って来たアンジェリークに、アリオスは
目を細めた。
「流石だな。美味いものには目がないってわけだ」
「ん〜〜。何か言った?」
上目遣いに、ちょっと睨むアンジェリークを笑って制して、一口
すする。
「美味いぜ」
「ホント?」
「ああ。外で熱いスープってのは中々いける」
と、もう一口。
「けど、今度からは湯だけ持って来いよ。ここでインスタントの粉
溶かして飲めばいいだろ?」
「インスタントじゃ味気なくない?」
「外で飲む分、美味くなる。荷物が軽いほうが気軽だろ?」
「あ、そうか、そうだね。それじゃ、今度からそうする」
えへへ、とアンジェリークが嬉しそうに笑った。
食後のコーヒーと共に
「アリオス、これ…」
と差し出された紙包み。
「アリオス、お誕生日おめでとう」
言ったアンジェリークの方が嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいる。
だから、アリオスも自然と笑みを零した。
「サンキュ、アンジェ」
「開けるぞ?」
「うん」
ペリペリと、小さなリボンが貼り付けてある紙包みを剥がして、
中身を取り出す。
ふわっとした手触り。
濃い、黒に近いモスグリーン色のセーター。
フッとアリオスは口元に小さな笑みを浮かべた。
アリオスは、これをアンジェリークが編んでいるのを、知っていた。
元々隠し事の出来ないアンジェリーク、しかも一緒に住んでいる
のだ。何を企んでいるのか、などバレバレである。
一生懸命アリオスに秘密にしていた努力は認めるものの、隠し忘
れた毛糸の束と編みかけの身頃に苦笑をしたことが何度もあった。
だけど、秘密かどうかが問題じゃない。
あの一本の毛糸を手の内に収め、そうしてこんなセーターを形作
るアンジェリークの姿は、どこか女王としてのアンジェリークと重
なる。
逆に言えば。
女王であっても、そうじゃなくても、たった一人、アリオスの為
にアンジェリークは手を動かし糸を紡ぐのだろう。
「着てみていいか?」
「うん!」
袖を通してみると、肌触りのいい、軽い素材と分かった。肩や腕を
動かしてみても、どこも触ることなく身体になじむ。
「よかった、ぴったりだね?」
「ああ。結構着心地いいぜ。お前、案外器用だな」
「え!? えへへ…。ありがと」
珍しい率直なアリオスの賛辞に照れて、零れたアンジェリークの
笑顔が、あまりに可愛いから。
「裁縫はあんなにど下手なのにな」
と、どうしてもからかってしまうアリオス。
「ア、アリオスッ!!」
大きな青緑の瞳がメッと睨んだけど、それさえも愛らしい。
「クッ…ハハッ。冗談だって」
アリオスは恋人の腕を取り、ちょっと膨れた頬をつっつく。
「サンキュ、アンジェ。嬉しいぜ」
「アリオス、眠いの?」
ごろっと横になっているアリオスに、花摘みしていたアンジェ
リークが振り返る。
「あ? ああ、そうかもな…」
秋の終わりとは言え穏やかな陽で、日差しが暖かい。柔らかな眠
気に包まれる。
「ふふっ、寝ていいよ?」
アンジェリークの優しい声が少し遠い。
「……こっち来いよ、アンジェ」
目を閉じたままでアリオスは手招きして、自分の隣を叩く。
「ん? なあに、アリオス?」
無邪気に隣に座ったアンジェリークに、アリオスはずりずりっと
身体をずらせてその膝に頭を乗せた。
「枕…」
「あっ…もう、アリオスったら…」
クスクス笑いながら、アンジェリークが手にした花で、アリオス
の頬を軽くくすぐる。
くすぐったそうに首をすくめ、僅かに長いまつ毛を持ち上げアン
ジェリークを見上げる。
「重くなったら降ろせ」
そう言って、もう一度瞳を閉じた。
「気持ちいいな…」
アンジェリークは空を見上げて呟いた。
青い空に白い雲が浮かんでいる。
降り注ぐ日差しが暖かで、草の香りが爽やかだ。
でも、時々微かに吹く風は少し冷たい。
もうすぐ冬がやってくる。
そうして季節を過ごしていく。
膝の上に目を落とし、アリオスを起さないように気をつけながら、
その銀の髪を指で梳いた。
冬を迎えて春が来て、そうして熱い夏を越えてまた秋が巡る。
これから過ごす沢山の季節を、アリオスと共に迎えたい、とアン
ジェリークは心から思う。
「アリオス…。大好きよ」
そっとそっと囁いて。
そうしてアンジェリークは、再び青い空を見あげた。
「…ん?」
長いまつ毛をしば叩かせて、金と緑の瞳が現れる。
アリオスが目を覚ましたのは5分ほど経って。
「起きた?」
上から降りてくる優しい声。
栗色の髪に青緑の瞳の天使の声。
アリオスは手を伸ばし、その天使を引き寄せる。
かかる髪が作る影の内、青緑の瞳がゆっくりと伏せられ、優しい
暖かな唇が降りてきた――。
「風出てきたな。戻るか?」
「うん…」
秋の陽は短い。日が陰るとすぐに風が冷たくなる。
手早く片づけをして、軽くなった荷物を片手に、手を繋いで野原
を後にする。
道すがら、アリオスは
「晩飯、凝ったもんじゃなくていいぞ」
と釘を刺した。
『凝った料理=夜が短くなってしまう』
その図式だけは、アリオスは避けたい。
「え? えーと、アリオス、お腹減ってるの?」
「あ? ……ああ、そうだな」
アリオスの僅かな『間』の意味を、もちろんアンジェリークは取り
違える。
「あれじゃ足りなかったかな? ブランチになっちゃったし、もう
ちょっと作ればよかった? ごめんね、アリオス」
申し訳なさそうな顔で見上げられて。
どうしてこの少女はいつまで経ってもこうなのかと、本当に
可笑しく思いつつ。
身を屈めて小さな耳元に囁いてやる。
「お前を腹いっぱい食いてぇ」
「!!!」
瞬間、真っ赤になって、目を白黒させたアンジェリークに、
アリオスはにっこり極上の笑みを向ける。
「あ、もう一つ、お前からプレゼント欲しいな」
「え?」
アリオスは、先程のプレゼントの紙包みについていたリボンを
ペリッと剥がし、アンジェリークの頭の上にポンとつける。
「あ〜〜〜」
いきなり頭の上に付けられたリボンに手をやり、はっと思い出して
アンジェリークは上目に睨む。
「リボンをつけた私、って言うんじゃないでしょうね」
「お、惜しいな。ちょっとハズレ」
「え? ハズレ??」
ちょっと首を傾げたアンジェリークの頭の上で、リボンがひらひら
揺れている。それを見やりながら、アリオスは言った。
「リボンだけをつけたお前が欲しい」
「??? リボンだけをつけた私………」
数秒間、アンジェリークは言われた言葉の意味が取れず、
「…………!!!!!」
分かった瞬間、固まってしまった。
「クッ…。楽しみだぜ?」
アンジェリークは夕暮れの聖地を歩く。
カタカタ鳴る空になった魔法瓶3つを片手に持って、もう片方は
それは楽しそうなアリオスに繋がれている。
「アリオス…」
「ん?」
振り返ったアリオスの髪は、夕映えに染まってとても綺麗だった。
アンジェリークはとても幸せで。
そうして、今日、何度か言った言葉を、もう一度唇に乗せた。
「アリオス、お誕生日、おめでとう」
<Fin>
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