「いいよ〜葉月ちゃん! ばっちりだ」
カメラマンの歯切れのいい声。
パシャ、パシャっとシャッターを切る音と焚かれるフラッシュも
小気味よいリズムを刻んでいる。
「よっしゃ! それじゃセット交換だね〜〜」
という声に、辺りはふうっと緊張を解く溜息がもれた。
照明やスタイリストがざわざわ動き始め、彼らの邪魔にならない
ようにと、葉月はセットを離れてスタジオの隅へと移動した。
「葉月クン、いいかな?」
スタイリストが、ぱさっと柔らかな光沢のあるシャツを肩に羽織
らせた。葉月は小さく頷き、袖を通して小さなポーズを取る。
「うん、ありがとう。やっぱり少し裾が長いみたいね」 スタイリストは頷くと、手首に巻いた針山からすっすっと裾に
ピンを打って、少し離れて全身を眺めて確かめ「それじゃ直すね」
と言ってシャツを脱がせた。
心積もりをしてたのか、既に糸を通した針を手に、見る見るうち
に裾上げされていくその魔法のような手の動きに、葉月は少し見惚
れた。
自分がアクセサリー作りが好きなせいか、そういう『物を作る』
光景は、見ていて飽きない。 あっと言う間に裾上げされたシャツを、「はい、着てみて」と
肩にかけられた。
「…凄いですね」
「うん、いいデザインよね〜。葉月クンに似合ってるよ」
「…じゃなくて、あっと言う間に縫ってたから…」
葉月の言葉に、スタイリストは目を大きくして、
「ふふっ。ありがと」
と笑った。
「お疲れ。よかったわよ、葉月クン」
葉月のマネージャー通称『女史』がやって来た。
「どうも…」 相変わらず無表情だが、僅かにペコッと頭を下げるところは、
最近葉月の変わったところだ。
女史は微かに微笑んで、そうして表情を改めた。
「ところで、葉月クン」
女史は預かっていたバックを手渡しつつ、その前ポケットに入れた
携帯電話を示す。
「これの番号、漏れてるんじゃない?」
「え?」
葉月は首を傾げた。 心当たりが無い。両親と身近な親戚、最低限のこの仕事関係、
それと愛以外には殆ど知らせていない。
「別に…そんなことはない、と思う」
葉月の答えに女史は首を傾げる
「でも、さっき妙な女の子からかかってきちゃたわよ。適当に言って
切ったけど」
「えっ!?」
急いで着信履歴を確認する。
間違いなく愛の番号。
「あれ、もしかして彼女からだった?」 女史の問いに、葉月は肯定も否定もせずにただ無言だったが、
その強ばった表情が物語っていた。
――うっ。失敗しちゃったな……。
女史は内心、冷や汗が吹き出した。
抜群のルックスで人気急上昇中の『モデル 葉月 珪』。
しかし、本人自身は口下手で感情表現の苦手な、不器用な少年
だった。
中学の頃から、大人しくやって来ては、ただ、淡々と被写体と なって帰っていく。「よかったよ」とか「好評だよ」という誉め
言葉にも「そうですか…」とだけ呟いて目を逸らした。
モデルとしては御し易くても、年頃の少年としては、少し心配な
気分で見ていたのだった。
その葉月が高校になってから変わった。
少しずつ自分の意見を口にして、(いつぞやは、突然「モデルを
辞めます」と言い出して驚かされたが)、乏しかった表情が生き生き
としてきた。いつまでもうち解けなかった彼が、さっきのように
スタッフと言葉を交わすようにもなった。 その理由が一人の少女の存在と分かるまで、それほど時間は
かからなかった。
最初は『どうしたものか』とも思った女史だが、彼女が葉月の
高校の生徒と分かり、黙認を決めた。
『彼女顔』してまとわりつく訳でもなし、葉月と学生生活を
楽しんでいる風だったので。
そこまでは口を挟めないし、葉月の為にも『いいことだ』と内心
思っていたのだ――。
先程までの『いい顔』は消えて、葉月は固い表情で携帯に見入っ
ている。
「おい。女史、何とかしてくれよ〜」
と、カメラマンに小声で突かれ、
「分かっているわよ」
と、女史は渋面をつくる。そうして、バックを探った。
「葉月クン、ごめんね。悪かったわ」
そう言って、女史は一枚のチケットを葉月に差し出す。
「お詫びと言っちゃなんだけど、これあげるわ」
「え……?」
それは、商店街にある映画館の、最近話題のプレミアムシート、
別名『カップルシート』のチケットだった。
ホームビデオに押されっぱなしの映画館。少しでも客を呼ぼうと
いう試みで始められたプレミアムシート。
テーブルのついたゆったりとした椅子。ドリンクとポップコーン
付きで、場所も正面の一番いいところ。
ビデオ感覚で映画を観てもらおうという、なんだか逆の試みだが、
もの珍しさも手伝って結構話題になっている。
もちろん葉月も知っている。というか、愛を誘いたいと思いつつ、
『カップルシート』という呼び名に、躊躇しているのが本当だ。
「えっ」
と戸惑う葉月に女史がにこりと笑いかける。
「ちょっとね。知り合いから貰ったんだけど、私が持ってても使い
ようがなくって」
あら、これじゃちょっと情けないかもと苦笑い。
「そういう訳で葉月クンが使ってくれたら有効かなってね。よけれ ば感想聞かせてもらえばありがたいかな。それ、くれた人って、
あの映画館の関係者だから」
そんな風に言われてしまうと、もらわない方が悪いような気も
して。
「…それじゃ、頂きます」
と葉月はチケットに手を伸ばす。
そこでさっきのスタイリストが
「あ〜、あの〜、もうちょっと服直したいから時間もらえるかな〜?
ゴメンね、葉月クン、待たせちゃって」
「あ〜〜? ま、服が決まんなきゃ仕方ないなぁ。
葉月ちゃん、十分ほど休憩しててよ」
これはカメラマン氏。そうして女史が
「顔でも洗ってくる? 汗かいたでしょ?」
と言って、携帯入りのバッグを押し付ける。
「………それじゃ、ちょっと…」
と、スタジオを後にする葉月の姿を確認してから、スタッフ全員
顔を見合わせ親指を立てた。
ほんの五分ほどで葉月は戻ってきたけれど。
少し紅潮した頬。いつもより輝く緑の瞳。嬉しそうな口元。 カメラマン氏がカメラの用意をしてなかったことを後悔した
くらいに、いい表情の『葉月 珪』。
「そんじゃ、始めよかーー」
の声に
「はい」
と、いつもより弾んだ声。
携帯を留守番サービスに設定したのを確認して、バッグを差しだす
葉月に、女史は苦笑する。
「勝手に取ったのは悪かったわ。でもね、葉月クン…」
そこで女史は葉月を見上げて小さく睨む。
「彼女の番号ぐらい、メモリー登録に入れててねっ」
葉月珪。
一度その気で目にしたものは忘れない、という特技を持つ。
ましてや愛の番号など、一目で記憶済で。
だから、わざわざ面倒なメモリー登録などしていなかった。
いくらなんでも、画面に固有名詞が出ていればあんな対応は
しない。
ただの番号表示と少女の声に、ファンの一人だと勘違いして、
先手を打ったのだった。
「……メモリー登録って、なんですか?」
驚いたように目を見開く葉月。
「後で教えてあげるわ」
と、女史は手を振った。
なんだろう、と小首を傾げつつセットに向う葉月の背中に、一つ
溜息。
これじゃ、彼女も苦労してるだろう…と。
「おっ、いいね〜。いい感じだよ、葉月ちゃん」
カメラマンのノリのいい掛け声。
おそらく撮影は早くに終わるだろう。
葉月にメモリー登録を教える時間ぐらい、余裕で出来るはずだ。
バッグから頭を覗かせている携帯電話に視線を落とし、もう一度、
ふうっと溜息をついて、女史は顔を上げて、『葉月 珪』の撮影を
眺めた――。
<Fin>
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