レイチェルは、午前の一仕事を終えて研究院から出たところで、
ふと足を留めた。
――ああ、いいお天気だな〜。
差しかかる陽光のきらめきは、まるで光が遊んでいるようだ。
風が新緑の香りを運んでくる。
――う〜ん、いいカンジ…。
と、大きく伸びをした。
「補佐官! レイチェル様!! た、大変ですっ!
へ、陛下が! 陛下が!」
「えっ…ア、アンジェに、なにかあったのっ!?」
廊下の向こうから事務官の女性の声に、はっと振り向く。
――そんな馬鹿な。今朝のこと、「完全に異常なしです」と太鼓判を
押してもらったのにっ!
レイチェルは走った。
レイチェルの女王アンジェリークは長く病に伏していた。
ただの病ではなく、それは女王であるがゆえ。
生まれたばかりの宇宙の、旺盛というよりは貪欲とも言える成長の渦を
一身に受け、命も危うい時期もあった。
それでも危機を脱し、今朝、最終検査の結果が出て、主治医に
「完全に異常なしです」
と太鼓判を押してもらったばかりなのだ。
その結果をアンジェリークと彼女の恋人アリオスと共に確かめて、本当
に喜び合ったばかりなのだ。
「ありがとう、レイチェル。そうして、ごめんね、心配かけて」
微笑んだアンジェリークは、以前と変わらない…もっと精気溢れる笑顔
だった。
――そんな訳がないわっ! あんなに元気だったのに!
「なにっ! どうしたのっ! アンジェが倒れちゃったの!?」
宮殿の端から全速力で疾走して、形相の変わっているレイチェルに、
「い、いえ、陛下はお元気です。そ、そうではなくて…」
と、書記官の方がたじたじとなりながらも
「で、その、…アリオス殿がこれが補佐官にお渡しするようにって…」
と、彼女は一枚の白い紙を差し出した。
しばらくアンジェリークを独占する。
邪魔するなよ。
アリオス
追伸:俺も休暇だ。
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「……………………………………」
レイチェルは沈黙したままだ。その沈黙をどう取ったのか
「あの、これをお受けした途端に、アリオス殿が陛下と共にどちらかに
消えらてしまって…」
と、困惑声の書記官。
「…ぷ」
「は?」
「クッ…ハハハ…アハハハハ!!」
「…レイチェル様????」
ぽかんとする書記官を前に、レイチェルは弾けるように笑い、ピンッと
その白い紙を指で弾いた。
「いや〜、流石アリオス。助かったわ」
「は?」
「これなら来週からはアンジェの予定を立てれるね。ラッキー」
「はぁ?」
「うん、出来るオトコはやることが早いね」
「あの? レイチェル様?」
「ん? で? えっと、アンジェがどうかしたの? 大変ってなに?」
「…いえ、あの…その……」
予想外の女王補佐官の反応に、まごつきつつ、尋ねてみる。
「あの……ご心配じゃないんですか、補佐官?」
「どして? アリオスが連れてったんでしょ?」
「はい」
「じゃ、予定内だから全然オッケーだよ?」
「はぁ…まぁ、レイチェル様がそうおっしゃるなら…」
書記官は首を傾げつつ去っていった。
「フンフンフ〜ンっと」
レイチェルは機嫌よく執務室に戻ると、専用のパソコンを立ち上げ
スケジュールを開ける。
ほとんど真っ白いアンジェリークのスケジュールと、びっしりと、
それこそ欄外にまで極小フォントで書き込まれたアリオスのスケジュール
を開ける。
「う〜ん、三日あればいいかなぁ。
ま、余裕を持って来週からはイケルね。名目はなんてしようかなぁ…」
と、手を止めて頬杖をついたレイチェルの、黄金の髪がふわっと
揺らいだ。
ふと、窓から流れ込んだ風の動きに顔を上げる。
窓の向こうに綺麗な青空が広がる。
木々の葉擦れがさやさやと囁き、輝く陽光が煌めいている。
穏やかな陽気の穏やかな光景。
――ほんと、綺麗…。いい天気!
なんだか随分久しぶりに、この青空を見た気がする。
今ごろアンジェリークは大変だろう。
今日明日は足も腰も立たなくなっちゃうだろう。
でも。
――その方がいいよ…。
レイチェルはそれは優しい笑みを口元に浮かべ、思いついて、再び
キーボードに向かって指を走らせた。
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